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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


神様とツーカー?

私の教会は大きな教会なのですが、牧師先生と兄弟姉妹方一人ひとりの結びつきはとても強いです。それは、亡くなった先代の牧師先生の時から今のS先生に至るまでずっとそうです。私も含めた古い信者さんの誰もが、何かあると牧師先生に御相談し祈って頂き、先生がおっしゃるように従って来て失敗したことは一度もありません。プライベートなことでも仕事のことでもです。中には命にかかわる相談もあります。

全ての教会・牧師先生には当てはまらないとは思います。牧師先生も人間ですから、間違った判断をすることもあるでしょう。でも、うちの牧師先生方に関しては、何と言うか神様とホットラインで繋がっているのではないかと思える位で本当に不思議です。なので、私達は神様がたてられた目に見える指導者に従うことが益になることは体験的に良くわかっています。神様は牧師先生を通して栄光をあらわされます。

先代の牧師先生の時はとてもカリスマ的な人で、相談するにも本当に緊張しました。何故ならば、自分が考えていることと反対のことを言われることが多かったからです。信仰の初心者の頃は、わからないことが多かったので良く相談していました。半分嫌々だったとしても、牧師先生が仰ったようにすると必ず良い結果になりました。もちろん盲従ではなく、意志を持って従って来ました。あっ、牧師先生はものすごく優しく、そして厳しく、又茶目っ気がある先生でした。父に叱られたことはなくても、先生には何度も叱られました。(苦笑)

私は昨年早天祈祷会に行き始めてから、あれをして欲しいこれをして欲しいという自分の利益を求めるような祈りではなく、私ももっと神様の声を聴きたい、もっと神様を知りたい、神様の御心が私の思いとなるようになりたいと願って来ました。もちろん信仰の色々な段階を経て来て、今の私はそういう心境にいるということです。そして特にここ数か月の間、牧師先生方や信仰の諸先輩の証を聞いたり祈ったりしているうちに、神様とツーカーの人達には共通点があることがわかりました。

それは、本当に謙遜で砕かれた魂の持ち主であるということでした。自我が強すぎると、確かに神様の『細く小さな声』をキャッチすることは出来ません。私も経験がありますが、我が妨げとなり聖霊様が自由に働かなくなるのです。何年も前S先生に、「先生は何百人も信者がいて、色々な相談を受けて大変じゃないですか?」と聞いたところ、両手を上にあげて「(神様に)全部お任せだから。(^_^)」とおっしゃっていました。確かに自分の頭で考えたら、重責ということもありストレスが溜まることでしょう。

先生は副牧師の頃から「祈りの器」と言われていました。24時間祈っているような人で、私が歩きながらも、職場でも、いつもイエス様に話しかけているかのようなお祈りをしているのは先生の影響です。家で正座して堅苦しいお祈りをしていたら、神様が遥か彼方のとても遠い存在のように思えるかも知れませんが、いつでもどこでも祈るようにしてみると、劇的に神様を身近に感じるようになると思います。お祈りは神様との大切なコミュニケーションです。

しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。(ヤコブ4:6-8)