HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


家庭集会で

今日は3月末以来の家庭集会に行って来ました。前回と同じ池袋在住の姉妹宅で、厳密にはその高層マンションの最上階にある住人用コミュニティスペースのような広々とした場所ですが、で行われました。子供も入れると20人位いたと思います。今回は、定年後神学校に通い始めたA兄がお勧めのメッセージをして下さいました。

その後で、「私のイエス様、又は神様にはどの様な特別な思いを持っているでしょうか?各自が証を紙に書いてみる。」というコーナーがあり、①〜④まで箇条書きにし、その下に「イエス様に対する私の本当に一番大切な思いは」と書く欄がありました。最初にA兄がサンプルとして自分が書いたのを読みました。「日々共に歩んで下さる方」と言った時、隣にいた私は思わず「私も全く一緒です!」と声をあげてしまいました。彼は恥ずかしそうに会社のトイレで祈っていたと言っていましたが、「あ、それ。クリスチャンの人達良くやってますよ。(笑)私もです。」と言いました。

そして、順番に答えていくことになったのですが、その人が自分の人生の中でどのように神様と強く関わって来たのかがわかり、とても興味深く感じました。私も他に3つ挙げ、最終的に「一番大切な思いは」では、「私が完全に信頼出来る方」と書きました。長い信仰生活の中には、楽しい事も崖っぷちのような辛い時期もありました。その時どきで主は常に共にいて私を導いて下さいました。

私の神様への信仰がぐらつかなくなったのは、初めて秘書になった時の意地悪な上司についていた辛い2年7ヶ月を通されたからでした。それによって神様への信頼は100%となり、10年前に1年半の失業という辛い所を通された時にはその2倍の200%になりました。温室の中にいただけだったら信仰は成長しなかったと思います。今の私にとって、神様は私が完全に信頼出来る方であり、全てを全面的にお任せ出来る存在なのです。

家庭集会後、おばさま方に、先日私が家で片づけものをしていた時、救われた頃から30歳前後位の日記が出て来て思わず読んでしまった話をしていました。特に26〜30才前後の頃の日記は、過去の自分なのですが、読んでいてあまりにも哀しくて辛くなってしまいました。当時はわからなくて苦しんでいましたが、あの頃今の信仰を持っていたらもっと違う対処法があったのにと思いました。

私はホームページに救われてからの証をずっと書き続けていますが、神様のその時その時の御愛を思い、証の多くは涙をポロポロこぼしながらキーボードを叩いていたものです。神様は赤ちゃん信者から今の私に至るまで、その時の信仰の度合によって私を優しく導いて下さいました。主は私を一番理解し愛して下さる方、私を生涯導いておられる信頼出来る方なのです。