HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


糸口

体調が悪かったせいなのか、私にしては本当に珍しく気持が沈み、何もかも投げ出してしまいたいような気持になってしまいました。ほぼ体調は戻りましたが、教会に行っても気持ちが沈んだままでした。何故こうなってしまったのか、自分でも説明がつきませんでした。負のスパイラルに入り込んでしまったような感じでした。

買い物に行った帰り道、自転車をこぎながら思っていることを全部イエス様に申し上げていたら、思わず泣いてしまいそうになりました。何かが間違っているから気持ちが晴れないのだと思いました。寝る間際に、自分が一番辛かった時の日記(以下の日記)を読むことを導かれました。

9/30/99
今日は久々に正社員の面接でした。14:00から面接でしたので、午前中に他のことと一緒にお祈りをし、駅に向かう間も祈っていました。昨日の日記に「今までが今までだったので、過度に期待したり思い入れは強くありません。(笑)」と書きましたが、今まで何度も何度も期待を裏切られてガックリ来ることの繰り返しだったので、期待しなければガッカリすることもないという発想で、これはあまりポジティブではなかったように思います。(^_^;;

祈りながら歩いていた時、パッと心に示されたことがありました。それは、「イエス様に希望を置く」ということでした。そしてさらに教えられたことは、先々のことを考えて不安になったり心配したりガッカリしたりすることを繰り返して来たのは、私自身が仕事の内容や会社に執着したり人に期待しすぎた為に、自分の願いとは反対の結果が出た時に失望落胆したりしていたのだということを気づかされました。感謝です。

自分の希望をものや人に置くのではなく、主御自身に置くということなのです。主は私達にとっての最善をご存知です。主に期待し信頼を置くことで、期待がはずれることがあるでしょうか。それは「Never!」です。そのことを駅に向かう間に教えられた私は、「主よ、これからは、イエス様御自身に希望を置きます。今、そのように私の心を変えて下さいましたから感謝です!!」と感謝の祈りをしました。すると、すーっと楽な気持ちになりました。面接の間も、全くあがらずにありのままの状態で、受けることが出来たのでした。

帰り道も喜んでいました。まるで暗闇の中から美しい宝石を見出したような気持ちで、嬉しくてたまりませんでした。「イエス様、私はイエス様に希望を置くことに心を変えていただいたので、今回の仕事がダメになったとしても、今までのようにガッカリすることはなくなりましたから感謝です。」と祈っていました。昨日と同じ結びで終りますが、昨日と今日では雲泥の差があります。(笑)ただ自分の思いではなく主の御心だけがなりますように。


これを境に私は変えられ、五日後に今の会社で面接、その三日後に働くことになりました。長い長い試練で、どうにかなってしまいそうでしたが、神様の「時」が来るととんとん拍子で進むものです。最近がっかりすることがいくつか続いていました。この日記を読んだ時、「あぁ、私としたことが・・、イエス様以外のことに希望を置いていた事に気が付かなかったなんて!」とはっとしました。私はベッドに入って、感謝のお祈りをずっとしながらいつの間にか寝てしまいました。


続く・・・