HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


今朝の早天の後で

普段は平日だけ早天祈祷会に行っていますが、実は祝日の日も土曜日もオープンになっていて、お導きで今朝は祝日ですが早天祈祷会に行って来ました。いつもは会社がある為途中で抜けるのですが、今日は最後まで残っていました。

祈祷会は何故か6:05から始まるのは知っていましたが、清めの祈り〜各自のお祈り〜(異言の)祈りが一斉に静まり次第、6:55頃に讃美をし、ハレルヤ!三唱(?)で終了という流れだと言うのがわかりました。

でも、この後みなが一斉にどこかに行ってしまい、「?」と思った私も付いて行った所、教会の中庭で音楽に合わせてラジオ体操第一をしていました。(笑)確かに年配の方々の方が多いので、健康の為に体操なのかも知れません。その後カップにお水が配られ、その後更にコーヒータイムになっているようです。というのは、実はお水を飲んでいる時に聖歌隊の或る姉妹とそのまま中庭のベンチでお話をしていたからです。

一昨日の日曜礼拝の直前に、姉妹の御主人(私の歌の公式ファン(?)を名乗っている貴重な人。(笑))が私の所にやって来て、クラシックで何か良いCDがあったら貸して欲しいと言われたので、次の日曜日にヘンデルの『メサイア』か何かを持って来ますよと話をしていました。姉妹もその話を御主人から聞いていたらしく、私にお礼を言って来たのです。私は「全然構わないので、良いのを選んで持って来ますよ。」と言いました。よくよく話を聞いてみると、御主人は実父を亡くして半年経ちますががっくり来てしまっているという。いずれ天国で会えるのは分かっていても、やはり肉的には寂しいと思うのは良くわかります。音楽で御主人が慰められるならと姉妹は考えたようです。

姉妹に、「(私が一昨日独唱で歌った)讃美歌はとても良かった。heidiさんの歌が心に入って来て慰められる。」と聞き、「私の歌なんかで?!」と思わず言ってしまいましたが、「私は他の先生方のようにプロではないので、技術的なことよりも言葉が一人ひとりの心に届くように祈って歌っています。」と話しました。その歌は讃美歌298番「やすかれわがこころよ」です。

安かれ わが心よ 主イエスは ともにいます
痛みも苦しみをも おおしく 忍び耐えよ
主イエスの ともにませば 耐ええぬ 悩みはなし


安かれ わが心よ なみかぜ 猛(たけ)る時も
父なる あまつ神の みむねに 委ねまつれ
み手もて 導きたもう 望みの 岸は近し


安かれ わが心よ 月日の うつろいなき
み国は やがて来たらん 憂いは 永久(とわ)に消えて
かがやく み顔仰ぐ いのちの 幸をぞ受けん

http://www.cyberhymnal.org/htm/b/e/bestill.htm

わりと聞かれることなのですが、独唱の曲は教会が選んでいると思っている人が多く、姉妹もそう思っていたようです。でも、私の場合は、歌いたい曲か導かれた曲のいずれかで、又ノンクリスチャンの声楽のプライベートの先生の救いの為と自分の勉強の為に意識的に全部違う曲にチャレンジしていることも話しました。私が歌った讃美歌は、3週間前に私の心に「Be still, my soul....」と響いて来た言葉によって導かれました。大体導かれる歌と言うのは、その時の私の心にピッタリ合う曲なわけで、神様からのメッセージで私自身が慰められた曲なのです。

英語で歌ったことはないのですが、「Be still, my soul」って何だろうと調べた所、讃美歌298番だとわかったのです。後でわかりましたが、聖歌309番「しずかに待てわがたまよ」と同じ曲で歌詞は微妙に違いました。前者のカテゴリーは「信頼」、後者は「試練」でした。姉妹は私の歌そのものも歌詞の意味もじっくりと聴いてくれたのだなぁと思いました。私自身ももちろん、歌詞を噛み締めるように心を込めて歌いました。

姉妹にはその後、試練の中に置かれているけれど神様がどれだけ素晴らしいことをして下さっているのかを一生懸命証ししていました。私の体験ではあっても、みんなにとっても同じ神様なので一緒に喜んでくれて、共に神様の素晴らしさをほめたたえました。一週間前の別の姉妹は、私の仕事のことなどを途中まで話していたので、その後のことを話した時、自分のことのように目を潤ませて喜んでくれました。本当に素晴らしい姉妹達です。

先の姉妹の御主人の心を慰めるCDであれば、ヒーリングボイスのドン・モーエンのCDが良いかも知れないとふと思いました。私も心が傷ついた時騒ぐ時などは、サタンが心に忍び込まないように、讃美で心を満タンに(?)することにしています。イースターの前数週間は、主の受難の意味と感謝を心に刻みたかったので、『マタイ受難曲』と『ヨハネ受難曲』を何度も繰り返して聴いていました。メロディーが夢の中にも出て来た程です。(^_^;;

あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。(ヤコブ5:13)

教会の礼拝の司会者も独唱する人も大勢ではなくひとりなので、その人の信仰も何もかもあからさまに出てしまうことや妨害があることでは同じだね、祈りが大事だよねと、以前司会者をしている献身者の兄弟と話していたことがあります。祈りも歌も何をするのでも、神様にとっては上手い下手は関係なく、私達の心を見ておられます。どのような奉仕でも、へりくだって喜びを持ってさせて頂きたいと思っています。