HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


新しい道へ

11日の朝、2年前にさかのぼった所からつい最近のことまで、ずっと私を力づけ励ましてくれた、又半年前の吉田先生の預言とも一致していた、ドン・モーエンの『God will make a way』も含めて一気にその日のうちに日記を書いてしまうつもりでした。それで、11日の枠だけを取り「準備中」にしていたのですが、仕事の引継ぎ等でとても余裕がありませんでした。

2年前の今頃、仕事でとてもショックなことがあり、思えば私はそこから荒野を歩き始めていたような気がします。神様から約束の地を与えられながら、つぶやいて滅びたイスラエル人のようになってしまうのか、あるいはヨシュアとカレブのように約束の地に入れるのか・・・荒野は私達の信仰を試され又品性を整えられる時でもあるのかも知れません。

信仰生活も相当長くなって来ると、赤ちゃんが成長をして大人になって行く過程で色々なことを経験して行くように、私達の信仰も試練を通して強められ成長して行くものだと思っています。以前は、「祈り求めて与えられました。ハレルヤ感謝!」、「辛い所を通っても必ず益として下さりハレルヤ感謝!」・・という感じでした。

でもここ最近変わって来たのは、そういうことではなく、むしろ「神様の御心は何なのだろうか」、「だんだん高いハードルを置かれている。神様は私に何をさせようとして御計画をされているのだろうか」ばかりを考えています。そして、もっと神様を知りたいという気持ちが更に強くなって来ています。今年は早天で「私を変えて下さい」と祈り始めましたが、自分で努力しても難しいことですが、神様に出来ないことは一つもないことを実感しています。

半年前の吉田先生の預言で言われていたので、今まで何の変化もない砂漠の荒野のようにしか見えなかったことが変わるかも知れないと期待していました。そして年が明けたら早速その変化が具体的に起こって来ました。その変化は必ずしも良いことではなく辛く痛みを伴うものでもありました。早天で祈り聖霊が充満していなかったら、とても持たなかったと思います。

まだプロセスにあるので、完全な証として証しする時ではありません。でも、私の長年の願いだった中途採用担当のキャリアを広げる機会を殆ど得ることがなく、私は7年以上派遣採用の担当で、あまりにも多い採用数に一人でそれを専任でこなすしかありませんでした。私はキャリアを積めないまま志半ばで採用チームそのものを離れなければならなくなりました。

じゃあ今度は何をやるのかですが、それについては、時が来たら全部お話することにします。今はまだ時ではないからです。神様は私が考えもしなかった別の道を備えて下さったのです。私は明日から、ドン・モーエンの歌のように、何も無いように見えた所に神様が作って下さった新しい道を歩いて行きます。恐れず前進して行き、後退することはありません。いつも主と一緒だからです。

実は、昨日の朝と今朝、御霊が喜んで弾んでいる状態で目が覚めました。早めに目が覚めたのでもう一度寝ようと思いましたが、あまりにも大きな喜びでどうしても眠ることが来ませんでした。元旦の頃の「麗しい目覚め」よりももっと熱く激しいというか弾んでいる状態だったのです。そして、それに加えて、『Shout to the Lord(叫べ全地よ)』の歌詞の何故か途中の『Nothing compares to the promise I have in You』のBGM付きでした。普段日本語で歌っているのに、何故か英語だったのでビックリしました。記憶とは不思議なものですね。

You tubeで見つけました。↓