HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


戦い

今年は変革の年だということは昨年秋頃からわかっていたことですが、変化には当然痛みを伴います。元旦の朝から二週間続いた「麗しい聖霊の満たしによる目覚め」〜早天祈祷会への参加により主の平安の中に住まわせて頂き、心と霊が静まってとても良い状態にあります。難しいと思われたことも徐々に良くなって来ています。

しかしながら、私の仕事に関しては、1、2ヶ月前に若干触れましたが、現実的にとても辛く厳しい立場に置かれています。詳しいことは日記には書けないのですが、昨日も今日もとても受け入れることが出来ないような納得が行かないことがありました。でも、主の十字架の苦しみを思い、私は耐え忍び全てを主の御手に既に乗せているのだから、そのプロセスで何が起ころうが驚き慌てたり落胆したりしてはいけないと自分に言い聞かせました。

たとえ不可抗力であり、機会や環境、又人にそうされたとしても、私が自分ではなく人のせいにしたとしたら、私の目は主を向いていることにはならず、霊ではなく肉の思いで、信仰とは関係ない感情のみで動く未熟なクリスチャンになってしまいます。

同じような試練が何度も繰り返されたり、いくつも問題が起こって何で自分ばかりと悩んでいる人達もいると思います。でもそういう時こそ神様に近づける時、神様の御手が動く時なのです。

私の今置かれている状況や、又自分の過去の体験から言いますが、繰り返し起こる問題が一向に解決しない時には、自分の心のうちを神様に探って頂かなければなりません。自分自身がへりくだり、神様にまず自分を変えていただかなければ、神様が許されたその降りかかっている問題は解決されないままなのです。

人を妬んたり恨んだり、赦さない心は、更にサタンに足場を作ることになります。心が平安でないうちは、物事は良い方向には進みません。自分が何かを悟る為に、あえて神様はその問題を置かれているのですから・・。神様はその最悪のことをも用いて、必ず益と変えて下さる方なのです。神様に信頼するのみです。

昨年か一昨年頂いた御言葉のお年玉を今思い起しています。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。(詩篇23:4-6)

早天祈祷会に参加し始めた頃、主は「これは霊の戦いです」とおっしゃいました。今それを再び心に留めた私です。