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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


きみもそこにいたのか

今日は礼拝で聖歌400番『きみもそこにいたのか』を独唱しました。イースターはイエス様の復活をお祝いする日ですが、忘れてはならないのは主の十字架の苦しみは何の為であったのかということです。この歌は黒人霊歌で、メロディ自体はとてもシンプルなのですが、表現力が必要なとても難しい曲でもあり、だいぶ前から歌いたいと思っていましたが力不足で歌えませんでした。

これはイースターの前だからこそ歌いたいと思い、歌の先生にお願いしてちょっと前からレッスンをして頂きました。今日は先生の都合が付かず、昨日土曜日にレッスンとなってしまいました。不安だったのは、当日の今日自分で発声練習をしていつものように歌えるかどうかと言うことです。これまでの感覚では、いつもの70%〜80%位しか思うような声が出ませんでした。

こういう状況にあったことも全て益となることを信じて、マンションの階下の人には申し訳なかったのですが、発声練習→聖歌→アリア(VerdiのPace pace mio Dio)→聖歌とトータルで40分で準備しました。何で途中にアリアが入っているかというと、アリアはとても息を使う為、その後で聖歌を歌うと最初の時よりもずっと息がまわり歌いやすくなるからです。

自分に出来る精一杯の準備はしたので、後は伴奏者との音あわせだけです。ところが、伴奏者が予定よりも30分も遅れて到着した為、オリジナルを全音上げてもらう為に伴奏者も慌てていましたが、私は若干落ち着かない気持ちで音あわせを始めました。何とかかたちになり、無事講壇で歌うことが出来ました。レッスンを受けたいつもの日曜日と変わらない位声が出たのはとても嬉しかったです。でも、昨日のレッスンで腹筋や背筋が上手く使えるようになっていたからだとは思います。

下記が歌詞です。私達は、もちろん、2000年前のその時その場面にいたわけではありません。何年か前に『パッション』という映画を観ました。イエス様の受難があまりにもリアルに描かれていて、胸が締め付けられる程辛い映画でした。映画ではありますが、2000年前に現実に起こったノン・フィクションなわけで、今の私達にも関係のあることです。

悩み苦しみのうちに神様に出会い救われた人達は多いと思いますが、私達は恵みに慣れてしまい主の十字架の愛を忘れてしまうような罪人です。そんな私達を救う為にイエス様は十字架の苦しみを受けられました。罪のない方が罪人の私達の身代わりとなられたのです。イエス様は私達自身より私達を御存知で、私達がどんな状態にある時でも決して見捨てることはなく愛して下さる方なのです。

英語版ですが、下記で聴くことが出来ます。英語は何故か3番までしかありません。↓

http://www.cyberhymnal.org/htm/w/e/r/wereyout.htm

きみもそこにいたのか 主が十字架につくとき
ああ 何だか心が 震える 震える 震える
きみもそこにいたのか


きみも聞いていたのか くぎを打ち込む音を
ああ 何だか心が 震える 震える 震える
きみも聞いていたのか


きみも眺めていたのか 血潮が流れるのを
ああ 何だか心が 震える 震える 震える
きみも眺めていたのか


きみも気が付いたのか 突然日がかげるのを
ああ 何だか心が 震える 震える 震える
きみも気が付いたのか


きみも墓に行ったのか 主をばほうむるために
ああ 何だか心が 震える 震える 震える
きみも墓に行ったのか