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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


タラントの気づき(続)

12月16日、19日の日記に続きタラントについてですが、12月中旬の会社での出来事から思うところがあり、忘れないうちに書いておこうと思っています。

私の仕事は貿易事務から始まり、好きな英語をもっと使いたいという気持ちが大きくなり、最終的に行き着いたところは外人社長付秘書でした。確かに毎日英語を読み書き話す仕事は、OLを始めた頃には考えてもいない夢のような仕事でした。上を目指していた頃は本当に一生懸命英語を勉強していました。日本人付秘書になったばかりの頃、ドイツ語を始めたことやイタリアの会社で必要だったのでイタリア語の勉強も始めました。

私の英語熱がすっかり冷めてしまったのは、その次の会社で外人付社長秘書になってからだと思います。英語はある程度まで来てその上に更に伸びるのは難しくなり、その代わり初級から始めたドイツ語が少しずつ話せるようになるのが嬉しくて、英語では忘れてしまった学ぶ喜びを感じるようになりました。私としてはトライリンガルの秘書を目指したいと思いました。

しかし、導かれたのは希望したドイツでもスイスの会社でもないカナダやアメリカの会社でした。そして、秘書は卒業して人事に異動させてもらったのは良いのですが、新しいキャリアを積んで行く喜びと引き換えに、英語を使わない仕事になったことで(自分の怠け心もいけないのです)、私の英語力はどんどん落ちて来ました。

本国から偉い人が来た時も、進んで英語で自己紹介をするスタッフもいる中、私はあえて日本語で自己紹介をしました。通訳をしているHRヘッドに「え?何で日本語なの?」と言われたので、咄嗟に「私は○○社長の秘書で入社しましたが、人事に来てから英語を忘れてしまいました」とわざとジョーク飛ばしてごまかし、ヘッドがそれを訳し笑いを取りました。(^_^;;ずっと使っていないので中途半端な英語を話したくないということもありましたが、すっかり自信を失っていたのです。

又前置きが長くなってしまったのですが・・・、12月中旬に外人から外線電話が入って来たのを採用チームの男性が取りました。ちょうどランチタイムだったので人が居ず、彼は英語が全く話せないので、当然のように私に転送されて来ました。正直めんどくさいと思いました。たまに掛かって来る外人の電話はたいていヘッドハンターですが、その時は全く違う種類の問い合わせの電話でした。しばらく話した後、電話の人はありがとうございますとお礼を言って電話を切りました。電話を切った後、『あれ?ちゃんとすらすら英語で話してたじゃない?』と思ったらすごく嬉しくなりました。

ずいぶん昔のことを思い出しました。私がサイマルに通っていた頃、教会に外国人が来た時、なんちゃってではありましたが、隣に座り2、3回メッセージを通訳したことがありました。逐次ではなくウィスパリングで、日本語を聞きながら英語を話すという通訳です。それよりずっと前、私は教会がもっとインターナショナルになったら通訳の奉仕をしたいというビジョンを持っていたことを思い出しました。

しかし、教会の若い人達の中には帰国子女や留学する人達も増え、私は語学の奉仕はレベルも違うしと、そんなことはすっかり忘れていました。でも12月の出来事で、私はひょっとしたら、与えられていた一タラントを埋めてしまった不忠実な僕なんじゃないかと、ふと考えるようになりました。歌の時も、当時の能力がまだ不十分であったとしても、祈りとお導きで主がタラントを増し加えて下さいました。

何がタラントなのか自分ではわからないこともあります。自分がやりたいことがタラントとは限りません。主が既に与えられたギフト(賜物)がタラントなのです。外国語もそうなんだろうか・・・正直良くわかりません。長い日記になってしまった割には結論が出ていません。(^_^;;でも、英語の勉強をもう一度頑張ってみようという気持ちになったことは確かです。今年の暮れにはどうなっているでしょうか。