HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


元旦の朝に

今年は教会の元旦礼拝がなかったので、いつも教会から新年をスタートしていた私はとまどいました。でも、長年の習慣というかやはり元旦は教会に行ってお祈りをしたいと思い、元旦の10時過ぎには教会に向かっていました。聖歌隊で歌うわけでもないのに、しっかり発声練習をしている私でした。(苦笑)私は元旦の朝いつもそうしているように、教会までの道のりを祈りながら歩いていました。途中でI君から携帯メールが入り、寝坊したので予定より遅れるとのこと。私のように元旦は教会でなきゃという人がもう一人いたのは感謝です。(^_^)

誰もいない会堂に着き、真ん中の一番前の座り慣れた席に座ると、感謝と喜びが溢れ「主よまいりました・・」と言うと涙がこぼれました。感謝のお祈りをした後、静かで穏やか目のワーシップソングをいくつも心行くまで讃美しました。ワーシップソングは、聖歌やクラシックと違って、詩がシンプルで心にストレートに入って来るので、歌っていると声がつまってしまうことが多いです。

私は御霊に導かれて、『主よ、今年の一日目の元旦に、御言葉を導いて下さい。』と心の中で尋ねました。そして、聖書を2、3回めくり、このページだと手を止めて開いたところ『マタイによる福音書18章』でした。私は驚きました。何故ならばここ数ヶ月色々な本を導かれて読んでいた中の、まだ読みかけの本で導かれていた御言葉だったからです。その本のメッセージは、心をきよくし、主に従順に従い、天国の備えをせよと言うものです。

そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。(マタイ18:1-4)

そして、下記の御言葉に、主の切ないまでの私達に対する思いが伝わって来て胸が一杯になりました。

〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。(マタイ18:11-14)

下記の御言葉は、強い励ましとなりました。

また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。(マタイ18:19-20)

I君が40分遅れて合流し、しばらくお話をした後一緒に祈りました。私の祈りは終わっていましたが、Y君の救いの祈りはI君が来てからと思って残しておいたのです。思えばY君と5年以上前に出会い、その救いの為に祈って来ている途中で、2年ちょっと前にY君の後輩のI君が彗星のように私の教会に現れて救われ、まずI君の人生が変えられました。

そして、クリスチャンとなったI君と共に、心を合わせてY君の救いの為に祈っていることが本当に不思議です。神様の御計画には本当に驚かされます。中学で数ヶ月しか一緒ではなかった彼らが、その町から遥かに離れた町にある私の教会で10数年ぶりで再会したのですから。私は昨年の11月位から語られていることがいくつかあり、そのひとつが伝道なのです。

私はある本を通して、いつもうちの牧師先生がおっしゃっている「クリスチャンの専業の仕事は伝道で、世の中の仕事は副業です」という言葉が私の心に響いています。イエス様を通らなければ誰も天国に入ることは出来ません。

しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っている。したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。(ローマ10:14-17)

今年は変革と発展の年になると確信していますが、この伝道の働きはとても重要な使命だと思っています。