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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


英会話Nの破綻に思う

英会話N・・・人事ではありません。(^_^;;

だいぶ昔になりますが、当時同時通訳者の登竜門と言われていたSアカデミーが、もっと下のレベルの英語専修コース(4レベル)を作りました。一番下のレベルでも、英会話も或る程度出来る英検2級レベル位だったと思われます。

時事英語がメインだったこともあり、この英語専修コースに入るにも、当時の私には英検1級レベルと思われるほど難しい入学試験がありました。合格発表を見に行った時は、まるで高校・大学の合格発表を見に行く程ドキドキし、落ちているのではないかと思っていたので、自分の番号を見つけた時は泣く程嬉しかったのを覚えています。

英文科を出た私ではありますが、当時貿易事務をしていて商業英語に触れ、Sアカデミーでは時事英語に触れることが出来、大学では感じられなかった新しい刺激と喜びを感じる日々でした。半年毎にレベルアップの試験があり、順調に上のクラスに上がりましたが、上に行けば行く程、途中からそのレベルに入った人達は、アメリカの大学を卒業した人達などがチラホラ混じり、実力の差を感じました。

それでも、専修コースと通訳コースの間のグラジュエートコースに進むことが出来たのですが、そのクラスは通訳コースの予備軍がいるコースだったので、更に帰国子女が混じって来て、ディスカッションの時などは付いて行けず、発言が出来ないと体調が悪いのかと思われていました。そうじゃなくて、その人達の英語が聴き取れなかったのです。(^_^;;私は完全にドロップアウトをしてしまいました。

当時Sアカデミーは、或る意味ブランドで世間的にも認知されており、初めてアメリカの会社に転職した時、そこの面接で、私が仕事をしながらSアカデミーで勉強して来たことも評価されたのでした。(今は英会話の初級クラスもあるみたいなので、昔のようなネームバリューはないと思われますが・・。)

前置きが長くなりましたが(^_^;;、落ちこぼれてしまったと思った私は、当時出来たばかりの今会社更生法が適用された英会話のNの門を叩きました。Sアカデミーで時事英語を勉強している私が、今更英会話を勉強し直す為にNに通うということは、或る意味プライドを捨てることであり恥ずかしいことでもありました。大学生が中学の勉強から始めるようなものだったからです。つまらないプライドよりは、現実を謙虚に受け入れることが大事と思いましたが、Sアカデミーのクラスメートにはそのことは隠していました。(^_^;;

Sアカデミーでは、出来る人達(20人近くのクラス)の中でドキドキしながら発言をしなければなかったのですが、Nは自分と同じレベルの人達が先生1人に対して生徒が3人でしたから、本当に気が楽だったのを覚えています。緊張せずにリラックスして英語を話せることの喜びを感じることが出来ました。

ただ、英会話を教える先生とSアカデミーで時事英語を教える先生達のレベルが歴然と違っていて、色々な意味でびっくりはしました。同じ英語でもカテゴリーが違うので仕方がないのですが・・。当時のNの先生のレベルはかなり低かったのです。wholesalerとretailerの意味がわからない生徒がいて、その意味をきちんと先生が説明出来なかったので、私が代わりに説明したことがあるほどでした。又、意地悪な私は、ニュアンスの違いを知っているのにも関わらず、レベルの低い先生にprobabilityとpossibilityの違いを教えて下さいとわざと聞いて、先生が慌てて辞書を調べに行ったとか・・・当時のエピソードは色々あります。

そんなことはありましたが、学校が拡大されるにつれ、以前よりちゃんとした先生が増えて行きました。昔のように、ちょっと日本に遊びに来て、先生でも・・という人がいなくなったからだと思います。Sアカデミーで落ちこぼれたと思った私に、再び英語を話す喜びを与えてくれたNは私にとっては救世主のようなものでした。貿易の仕事から秘書に転身した時も、英語をブラッシュアップして外人付の社長秘書になる決心をしたのも、間接的にはNのおかげだったと思っています。

そして、当時始まったばかりのドイツ語会話を習い始めたのもここでした。まだ生徒が少なかったので、授業の殆どはマンツーマンのような状態でとても恵まれていました。10数年前には、毎週土曜日にドイツ語のフリーカンバセーションに3、4時間入り浸りだった事もあり、今よりはずっとドイツ語が話せました。当時お世話になり親しかったドイツ人の先生達とは、本国に帰った後でもプライベートでお付き合いがあります。

N友と言われた人達(特にドイツ語)とは特に親交がありました。英語のN友よりも、ドイツ語のN友の方がはるかに言葉に対する思い入れがあるような気がしました。それは、義務教育で始めた英語、仕事で必要だから勉強する英語とは違い、文化やクラシック音楽に興味があってドイツ語に興味が行ったと言う、義務や必要ではなく、趣味的な勉強感覚の人達が多かったからかも知れません。

10数年前にNのユニオンのヘッドだった親しいドイツ語の先生からは、Nの経営の酷さや先生達への過酷な労働条件と職場環境の酷さは色々と聞いていました。詳しくは覚えていませんが、当時ドイツ語のN友と受講料のからくりに不信感を持ち、N側と話し合いの場を持ったことがありましたが、納得が出来ない話し合いだったことは覚えています。

学校のシステム(少人数制とフリーカンバセーションルーム)や先生は好きだけれど、Nの経営陣は嫌いと言う生徒が殆どだったのを覚えています。私もそうでした。当時から、人を大事にしない経営はいつか破綻すると思っていましたので、案の定という感じです。私は授業は取っていませんが、フリーカンバセーションチケットがまだ沢山残っています。(T_T)なので、早く再建して欲しいです。ということで、長くなってしまいましたが、複雑な気持ちの私です。