HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


変革の時

今の教会で救われてから20何年も経っていますが、10月は私にとっては特別な洗礼記念月でもあります。HPを開設してからは10年半になります。昨日触れましたが、これまでの過去日記は全部削除しました。ひとつの区切りだったと思います。私が初めて(紙の)日記を書いたのは中2の時で、それ以来洗礼を受けた直後までずっと書き続けていました。霊的に新しく生まれ変わった私は、思春期から大人になるまで書いていた日記が、古い私を引きずっているようで何か落ち着かなくなり、大学ノート23冊を教会に持って行き焼却炉で焼いてもらいました。

人生には色々な節目があるものです。HPを開設した時もそうでした。イエス様から証を書くように導かれて開設したHPでした。証をすることは、今も生きて働いている神様の体験を書き綴ることでした。自分を不特定多数のネットでプライバシーをさらけ出すのはとても抵抗がありましたが、それが主の御心で主の御栄えの為に用いられるならばと一歩前に踏み出しました。それまでは色々な人たちから何かをしてもらうことが多かった私でしたが、これからは私が人に対して何かをしていく時、それがイエス様に対する恩返しでもあるのだと感じたのです。

昨日当時から親しくして頂いていた或るネットフレンドから久しぶりにメールを頂き、私のことをずっと変わらず気遣って下さっていることを嬉しく思いました。ここのところ色々なとまどいや迷いがあり、すっきりしない日々を過ごしている所でしたが、神様はそんな私のことをご覧になられていて、その方を通して導いて下さったことを強く感じました。メールを読んだ数時間後にはウェブ日記を削除していました。処分する(と言っても、昔の日記のような消えてなくなるわけではないですが・・)決心がなかなかつかなかったのですが、一瞬のうちに「あっ、削除しよう」と決めたのです。

捨て去ったのは日記ばかりではなく、つい1、2週間前もかなり思い切ったことをしました。10年〜20年近く着ていたかも知れないスーツ類を一気に処分しました。あまりにも物が多く整理がつかなくなっていたので、相当勇気がいることでしたが捨てることにしました。私は気に入った服がなかなか見つからない方なので、持っている服は全部思い入れのある服ばかりです。涙を流しはしませんが、この服はあの時に着た服とか考えると懐かしく又切なくなりました。着る物が少なくなってしまいましたが、新しい服も少しずつ増やして又心機一転出来るかなと思っています。もちろん、これから少なくとも5、6年以上はもたせるつもりですが。(笑)

色んなものを方向転換する年なのかも知れないなと思っています。聖霊が心に語られるのは意外な場面の時が多く、真剣に祈っている時よりもむしろ何にも考えていない時にふいにだったりします。昨日買い物をして外食をしたのですが、ご飯を食べている最中に聖霊の声が心に響いて来たのを感じました。(その前に日記を削除したことで、私の心に聖霊による平安と喜びを感じていました。)それは、私が祈っていた答えだったのです。私はこれまでHPに証を書いて生きておられる主を伝えることが目的でした。

色々と思うことがあり、全てを委ねて祈っていたのです。主が導かれたHPでしたので、自分勝手に止めることは出来ないと思いました。ネットに出ると色々なリスクを伴います。それはわかりすぎる位わかっていました。でも、これからは違う或るテーマでHPを続けることを導かれました。(詳細は割愛します。)主の忠実なる僕、良きサマリヤ人でありたいと常に願っている私ですが、自分の好意的な言動であっても、その時は感謝されたとしても後になって後足で砂を蹴るようなことをされてとても傷つきました。昨年も今年も似たようなことがありました。

しかし、そのことがきっかけで真実が見えたりするわけです。誤解を受け一方的なことを言われたとしても、私はあえて自分を弁明したりはせず、謝って静かに離れていきます。全ての人に好かれたいとは思っていないので、誤解する人はそれで構わない、私は自分をわかってくれる人を大切にするからと思ってしまいます。ちょっとへそまがりかなぁ。(笑)困っている人の手助けをしても、見返りは求めていませんが、いつも傷つく私はわりにあわないなと思ったりします。しかし、主はそんな私に御言葉を持って励まして下さいました。正直、ご飯を食べながら泣いてしまいそうでした。

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。 だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。(ガラテヤ6:9-10)

信仰生活も長くなりました。主の御心が私の思いとなりますように。私の目はいつも主に向け、主のみに希望を置いて信仰生活を続けていこうと改めて決心しました。