HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


不思議な体験

私は大学生の時に今の教会に導かれ、最初の日に聖霊バプテスマを受け、その半年後に洗礼を受けて今に至ります。

聖霊を受けて約2ヶ月後に、まだ聖書も満足に読んでいなかった頃、月も星もなくなった世の終わりのような夢を見て、砂漠のように広い中で大勢の人達が一方に向かって逃げていました。ネグリジェのような白い服(後に洗礼服だとわかる)を着た私が、疲れて暗闇の上空に目をやると金色に輝く十字架が見え、右手を伸ばすとそのまま空中高く引き上げられて行きました。本当に短い鮮明な夢でした。確か当時、副牧師先生に「変な夢を見ました。」と話した時、先生が「携挙ですね。」とおっしゃったことをはっきり覚えています。でも、その時は「けいきょ??」と思ったのですが、意味を聞かないままで、ずっと後になってから知った次第です。それは、全く考えていなかった4ヶ月後の洗礼で、預言の夢が成就したかたちとなったのです。

もう一つの象徴的な事件(?)は、やはり洗礼前で聖霊を受けた次の月だったか、初めて聖餐(最後の晩餐のように、キリストの身体であるパンと流された御血であるぶどう酒を頂く)を受けた日曜日、アパートに帰宅すると、その日の朝まで何とも感じなかった筈なのに、救われる前数年間夢中になっていたタロットカードや占いの本を見るといてもたってもいられなくなり、大きな紙袋2つに全部突っ込んで公園に行き、聖霊の祈りをしながら全部焼いたという経験があります。占いは神様と反対のサタンの領域ですから、神様とサタンの両方に仕えることは不可能です。占いや偶像崇拝は神様がもっとも忌み嫌うものです。私はその日に完全に占いやサタンとは決別したわけです。自分からと言うよりは、神様に聖別させられた体験でした。

前置きが長くなってしまいましたが、私の長い信仰生活で色々な体験をした中で、上の二つはもっとも象徴的で大きな不思議な体験でした。私は、最近仕事の忙しさやそれに伴う心労が重なったりで、時間的な余裕がなかったせいか心身共にあまり元気がありませんでした。でも、仕事をしている時は傍目にはわからないと思います。むしろ、仕事上派遣会社の若い営業担当を叱咤激励(アメとムチ?)している毎日で、結構楽しそうに仕事をしているように見えているかも知れません。仕事は大変ですが、楽しんでいることも事実なので、自分でも気づかないうちにストレスがたまっていて、今週の月・火は微妙な偏頭痛で会社を休んでしまいました。

水、木、金曜日と又元の生活に戻ったわけですが、私は昨日どうしても気になっていたことがあって、17:30には仕事を終わらせてドタバタで会社を飛び出して行きました。ひと月位前に銀座の教文館に行った時、ネットフレンドの田崎牧師先生が毎回執筆されている『リバイバル新聞』を立ち読みしました。その時に、吉田万代牧師先生が「預言カフェ」をオープンしたと言う記事を見つけました。私の中では、旧約聖書に出て来た預言者を預言する人達と考えていましたので、今の時代の預言者と言っても100%信頼出来るとは思えませんでした。

ある姉妹が以前通っていた教会の聖会で、アメリカの預言者であり牧師であるヘンリー・グルーバー師を迎えた時があって、その時に初めて預言をしてもらいました。何十人も続けてひとりひとり預言をしてもらうのですが、私の場合は特に何も言われず、単に「姉妹に必要なものをすべて備えて下さい」というお祈りしか覚えていません。そんな感じだったので、預言と言うものはあまりピンと来ていませんでしたし、私の中では正直良くわからない分野でした。

昨日、その預言をしてもらえるカフェに行って来ました。半分以上好奇心、そして半信半疑、冷やかし・・・と動機は不純でした。(汗)でも、判で押したようなエンドレスに忙しい仕事、変化もない毎日の繰り返しでしたので、何か自分のモチベーションをアップさせるヒントでもあればとは思っていました。私はお店が終わる18:30ぎりぎりに到着しました。お店の前には、今広く一般の人にも知られている『パワーフォーリビング』が積まれていたので、それをもらってお店に入りしばらくそれを読んでいました。

ブレンド350円で、それを注文し、ずっと本を読んでいるうちに30分位経ち、勇気がなくて預言のことは言えずじまいで、レジでお金を払う時になって初めて「預言はいつでもしてもらえるのですか。」と聞いてみたところ、すぐにOKと言うことでした。吉田師(40代前半位)は、テープレコーダーでテープを回しながら約5分間預言をして下さいました。私は自分の素性も何も一切伝えていないのですが、私を何でも知っているかのように、原稿をすらすらと読み上げるように、私の公私共に心の中にある問題やアドバイスを、一方通行でずっと語り続けるので本当に驚きました。先の救われる前の二つの大きな体験の次くらいの不思議な体験でした。

私はこれまでも、人を叱咤激励することはあっても、その逆はあまりありません。先生の預言は、私に対する神様からの大きな励ましでもあり、これからのことを導いて下さるアドバイスでもありました。私は改めて神様の子供で、神様は私を守り導いて下さっている、いつも私を見ていて下さっていると感じました。家に帰ってテープを聴き、テープおこしをしました。私の忠実さと熱心さ、一つ一つ積み上げて来たことがかたちになっているので安心するようにと言うこと、又仕事のことかも知れませんが、忙しすぎることや認められないこと、このまま状況が変わらないと思っているかも知れないけれども、必ずそれに対するちゃんとした見返り、実りを与えますと言われました。何年間か難しい状況と感じられたかも知れないことも、それは新しいステージに変革に置かれる時だからですとも言われました。

これは最後の締めに言われたことです。『今まで何も見えないような砂漠のように見えた土地にあなたが花を見出す、あなたが道のないところに道を見出す、そのような季節がやって来ました。ですから、期待して喜びなさい。もしその心の中に、やっぱりだめだという不安が心の中に来るとき、あなたの声に私があなたを祝福していることを覚えて、もう一度、いや私の道は花の道、しっかりとした歩みの道だとあなたの口で語って下さいと主は言われます。今不毛の難しい状況のところを変革させる為にあなたの思いを用います。あなたの期待そして確信、それらのものを持って進むとき、目には見えないものを見るようになりますと主は言われます。』

5分間とは長いものです。預言の中に『あなたの周りの若い人達』と言うのが2回程出て来て、これは公私共に思い当たるので、彼らのことに対する預言なのだとそれも嬉しくなりました。私は自分を責めたり、責任を感じすぎるところがあるようです。それも指摘されました。『心配しないで』とか『安心してください』と言う言葉を何度も言われました。結局その後1時間程吉田師と信仰のお話をし、長居してしまいました。何だかすごく励まされて心が軽くなって帰って来ました。私はこれからも主ご自身にのみ希望を置き、期待して喜び、いつもサタンには勝利宣言して信仰生活を続けて行きたいと思います。

CIアジア東京キリスト教会、吉田師のブログです。↓

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