マルコ2:1-5をインスタグラムにアップしました。背景があると御言葉がとても綺麗で見やすいですね。そして、下はその光景が描かれた絵です。
救われたばかりの頃は、このエピソードを読んで、「随分無茶なことをするのね、人の家の屋根を剥いで病人を吊り下ろすなんて。」位にしか思っていませんでした。😅でも、そこまでして、癒して頂こうとイエス様の元に病人を連れて来た、彼等の愛の行いと信仰の強さを感じます。
時代も文化的背景も違うので、このようなことをすることはないと思います。でも、病人を吊り下ろした人達の信仰の行いは、人の為に何かをするということであれば、執り成しの祈りに通じるものがあります。病人がクリスチャンでない場合、癒しやその先の救いまで祈りに込めます。
5月31日の日記に書きましたが、2月末からすい臓がんステージ4で、余命3ヶ月を宣言された方の為に祈って来ました。私が思っている以上に、祈られていることが大きな心の支えとなり、励ましになっていると聞きました。ついに奥様までも、『勝利の告白』を讃美祈りするまでに。
しかし、すい臓がんというのは、わかった時は既に末期になっていると後で知りました。3月に亡くなった聖歌隊の姉妹も、同じ病気で余命2週間を宣告され、2週間後に亡くなりました。彼女はとても純粋で謙遜で優しく信仰深い人でしたので、天国への備えが出来ていたんだと思います。
お祈りをさせて頂いていたHさんは抗がん剤治療等もうまく行きましたが、次第に会話も出来ない状態になりました。私は完治を信じて祈って来ました。癒しは勿論のこと、とにかく救われなければという気持ちが強くなりました。主に24時間共に居て下さって、Hさんの心の扉を叩き続けて下さいと祈るようになりました。
枕元で福音を伝えることも出来ないので、イエス様からHさんの心と魂に触れ語りかけて頂くことしか方法はありませんでした。扉を開くのは外におられるイエス様ではなく、(取っ手は中にあるので)Hさんご自身です。自分の意志で、イエス様を救い主として信じて受け入れてくれるようにと祈っていました。
そして、余命3ヶ月より1ヶ月長く生かされ、先日亡くなられました。とても残念ですが、亡くなった顏が物凄く笑っているような笑顔だったと聞きました。霊の世界のことはわかりませんが、私は直感で「亡くなる時に満面の笑みだったのは、イエス様にお会いしたからに違いない」と感じたのです。☺️
イエス様に希望を置いて祈る時、決して失望に終わることはありません。人間的には寂しいかも知れませんが、肉体は滅びても魂は生き続けます。天国でいつの日か会えることを楽しみに、、。命の問題は神の範囲です。イエス様は、Hさんにとって最善最高の結果にして下さったと信じ感謝致します。☺️
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