この前の日記で触れましたが、末期がんのHさんのお祈りをさせていただいた際に、癒しと共に救われることを願っていました。その為、イエス様に心と魂に触れて頂きたいと、扉を叩き続けて下さいと必死でお祈りをしていました。
私がイメージしていたのは、上のインスタにアップした御言葉、ヨハネの黙示録3章20節とその下の絵です。この場面の絵は色々な人が描いていますが、共通していることは、扉の取っ手が外についていないことです。
扉の取っ手は内側にしかないので、イエス様の呼びかけに対して、自らの意思で扉を開けてイエス様をお迎えしなければなりません。誰でも声を聞いて入れてくれたならば、一緒に食事をしようと言って下さっています。
神様は私達の自由意思を尊重されています。無理やり押し入ろうとはされません。今はフィジカルディスタンスを守り、仕事もリモートになっていることが多いです。でも、イエス様と私達の関係は嬉しい「密」です。
神様は私達と親しい関係、いつでも親しくコミュニケーションを取りたいと願っておられます。主は 遠く離れた所におられる方ではなく、いつも共に居て下さり、呼べばすぐに答えて下さる、聞いて下さっている方です。
今日牧師先生のお話で、「私達は一人ではなくいつもイエス様と一緒ですよね。(例えば)○○ハイジさん(実際はフルネームで)の隣にはイエス様が見えますよ。皆さんそうですよ。イエス様と二人なんですよ。」と。
私はいつも最前列の真ん中で、牧師先生の目の前に座っているので、咄嗟に私の名前を挙げられたと思いますが、ちょっとモジモジしてしまいました。(笑)
↓ランキングに参加しています。皆様のクリックが書く励みになります。どうぞよろしライブくお願いします。