HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


神様と私達はリモートではありません

https://www.instagram.com/p/CBqg_Z4gr73/

「Here I am! I stand at the door and knock. If anyone hears my voice and opens the door, I will come in and eat with that person, and they with me.」‭‭Revelation‬ ‭3:20‬ ‭NIV‬‬https://www.bible.com/111/rev.3.20.niv

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この前の日記で触れましたが、末期がんのHさんのお祈りをさせていただいた際に、癒しと共に救われることを願っていました。その為、イエス様に心と魂に触れて頂きたいと、扉を叩き続けて下さいと必死でお祈りをしていました。

私がイメージしていたのは、上のインスタにアップした御言葉、ヨハネの黙示録3章20節とその下の絵です。この場面の絵は色々な人が描いていますが、共通していることは、扉の取っ手が外についていないことです。

扉の取っ手は内側にしかないので、イエス様の呼びかけに対して、自らの意思で扉を開けてイエス様をお迎えしなければなりません。誰でも声を聞いて入れてくれたならば、一緒に食事をしようと言って下さっています。

神様は私達の自由意思を尊重されています。無理やり押し入ろうとはされません。今はフィジカルディスタンスを守り、仕事もリモートになっていることが多いです。でも、イエス様と私達の関係は嬉しい「密」です。

神様は私達と親しい関係、いつでも親しくコミュニケーションを取りたいと願っておられます。主は 遠く離れた所におられる方ではなく、いつも共に居て下さり、呼べばすぐに答えて下さる、聞いて下さっている方です。

今日牧師先生のお話で、「私達は一人ではなくいつもイエス様と一緒ですよね。(例えば)○○ハイジさん(実際はフルネームで)の隣にはイエス様が見えますよ。皆さんそうですよ。イエス様と二人なんですよ。」と。

私はいつも最前列の真ん中で、牧師先生の目の前に座っているので、咄嗟に私の名前を挙げられたと思いますが、ちょっとモジモジしてしまいました。(笑)

 

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