先々週あたりから、BGMをテレビやCNNのニュースではなくBBNの英語放送に変えて、とても穏やかで落ち着いた毎日を過ごせているような気がします。私が聴いているのは英語放送です。↓
https://bbn1.bbnradio.org/english/listen-now/
祈る時はいつも、「既に与えられたと信じて」祈っています。仕事に関しても、答えは既にイエス様の御手にあるのは分かっていました。信頼して委ねて祈って来ましたが、神様の時はいつなのか訓練はまだ続くのかと辛くなっていました。
私の霊の目と耳と心を開いて下さって、神様の御心がわかるようにして下さいと祈っていました。そして、部屋中をBBNから流れる讃美で満たし、先日リビングバイブルを読み終えたので、普段使っている口語訳聖書に戻り読み始めました。
祈りの妨げとなるのは罪です。問題の解決は、抱えている問題そのものについて祈るよりも、神様との関係がどうかに目を向け祈ることが大事だと思っています。神様からの試練は、私達の信仰と人格を引き上げる為に必要なことなのです。
20年前の失業時に学んだことは、心の浮き沈みは仕事の内容や条件に目を向けていたからで、主ご自身に希望を置きなさいということでした。そして、御心の会社は必ず一つある筈なので、イエス様ご自身に希望を置き待つことが出来ました。
20年前は、そのようなお導きがあり仕事が与えられました。今回も気付きがないと神様の御手は動かないのは分かっていました。だから、より祈りが必要だったのです。そして、「恐れや不安」と「長期契約の固執」が妨げだと気が付きました。
確かに経済的な不安は完全に消し去ることが難しかったのです。又、安定を優先した為長期間契約の仕事ばかり探していました。これらはごく普通に湧き上がって来る感情ですが、これらさえも手放して完全に委ねることを求められたのです。
自分の罪もですが、恐れや不安、何かに執着したり、手放せない何かがあると神様の御手を縛ることになります。信仰生活が長いとハードルが高くなって行くのを感じるのですが😅、それだけ神様に期待されているのだと思うことにします。😄
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