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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


第二テモテ2:13、訳によって印象が随分違う・・・

うちの教会は口語訳聖書を使っていますので、聖句などは当然口語訳で慣れ親しみ記憶しています。でも、特に旧約聖書に関しては、時々意味がわからないことがあります。そんな時は英語の聖書を頼りにしています。

昨年から英会話を教えるようになった為、英語を滑らかに話せるようにLiving BibleのKindle版(1500円位)を購入して、音読用或いは速読用に使っています。とても勉強になります。↓↓ハードカバーは高いですね。(@_@)

 最近はベッドに入った時に、Living BibleのKindle版か日本語のリビングバイブルを読んでいます。寝ながらだとそんなに沢山読めないのですが、英日どちらにしても口語訳より平易な文なのでとても印象に残ります。

昨夜、下記の第二テモテの2:13を読んでハッとしました。ハッと言うか、ウッとなって感動し、じ~んと来てしまいました。

しかしたとえ、信仰をなくしたかと思えるほど私たちが弱くなっても、キリストは真実を貫き、私たちを助けてくださいます。私たちは主の一部分になっているので、切り捨てられることはないのです。そして、主はいつも約束を果たしてくださいます。

英語だとこうなります。

Even when we are too weak to have any faith left, he remains faithful to us and will help us, for he cannot disown us who are part of himself, and he will always carry out his promises to us.

私達は、キリストを頭としたキリストの肢体だと、聖書の多くの箇所に記されています。でも、『私たちは主の一部分になっているので、切り捨てられることはないのです』を読んで、改めてそうなのだと認識したのです。

これが、口語訳とNIVだとこうなります。

たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである。

if we are faithless, he remains faithful, for he cannot disown himself. 

随分と印象が違います。色々な聖書の訳を比較してみると、色々な新しい発見もあります。又、同じ聖句でも、その時の自分の心の状態によっても感じ方が違ったりします。私にとっては、その例が下記の御言葉でした。

わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。

(ピリピ4:13)

これは、信仰歴10年未満の頃には素通り(?)していましたが、その後パワハラで一番辛かった時に救われた言葉でした。今もずっと大事に握りしめている御言葉です。まさに、『み言葉はわが足のともしび、わが道の光』です。

 

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