昨日は1ヶ月ぶりに礼拝の独唱をさせていただきました。前回の独唱の後声が出なくなり、完全に元に戻るまで3週間ちょっとかかったかも知れません。それを考えると、12日間喉の不調で歌えないまま、声楽実技の本番で歌えたのは本当に奇跡でした。原稿がまとまれば、次の証会に証をしようと思っています。
「全てのことは益となって働く」と思ったのは、声が出なくなって初めて気が付いたことが色々あったからです。先日若い人のオペラのアリアを聴く機会がありました。確かに若い声は魅力的で張りがあって羨ましいですが、その反面、特に愁いのあるアリアを歌うのは正直経験不足で難しいかなと感じました。
そのことを私の歌の先生に話しました。先生が若い頃あるコンクールに出場した時に、(審査員に?)どこが悪かったのかを聞いてみた所、その歌を歌えるようになるには40歳にならないとねと言われたそうです。オペラのアリアは人生そのものなので、或る程度人生経験がないと表現が出来ないと思います。
私の場合は、聖歌讃美歌も歌わなければなりません。アリアは主人公の代わりに歌う感じですが、礼拝では導かれて選んだ曲を通し、自分自身の心情・信仰そのものを歌っているのかも知れません。昨日の歌は、高音の方は問題なかったのですが、中間音が残念な結果となり勉強不足を感じました。まだまだです。。。
律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
(ロマ書5:20)
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