HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


人の心を探り知るかた

教会に行く途中の道ばたに咲いているコスモスです。もう10月も中ばを過ぎてしまいました。月日が経つのがあまりにも早いと感じています。私の仕事を引き継いだ同僚からの質問のメールも来なくなって何ヶ月も経ち、本当に私は社会との接点がなくなり、若干寂しい気持ちになることもありました。

激務から来るストレスから逃れた環境で、穏やかで平和に暮らしている毎日でした。でも、神様の私についての御計画の中にあり、変化がないようでも日々神様の学びの中に置かれ、少しずつでも前進して行っていることを一昨日の出来事で改めて感じました。

一昨日の早朝、教会でいつものように御霊で祈っていたら、『心配しないで大丈夫。祈りは積まれているから。』と心に響いて来ました。私は、意外だったので、『えっ、私は心配していたんですか??』と心の中で一瞬叫びましたが、私よりも私を良くご存知の主が教えて下さったのだと霊で理解し、声を出して泣きそうになりました。主よ私はもっともっとあなたに寄りすがって行きます。。

私は下記の聖句を引用していつも祈っています。

神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。
わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。(詩編139:23-24)

そして、夕方4時頃になり、英語の学校に行く準備をしていましたが、急にめまいが襲って来て吐き気とお腹がゴロゴロして来ました。何十年来の持病だった偏頭痛が癒されたので、そのような症状は本当に久しぶりでした。その時は頭痛ではなくめまいでしたので、私が32歳の頃に過労で自律神経失調症になったことを思い出しました。

本当に辛くて出かける状態ではなくなりました。便座にもたれかかって、「イエス様〜、助けて下さい〜、、。」と言うのがやっとでした。学校にも行けなくなり、私このままどうなっちゃうんだろう、いつ治るんだろうと思っていました。体調が悪くなると精神的にも余裕がなくなるので、信仰どころではなくなる人の心理が分かるような気がしました。

私は或る人から、「励ましの賜物だね」と言われたことがあります。確かに神様の証を熱く語ると、元気になる人達を沢山見て来ました。私達の神様は素晴らしい方だと再認識するからだと思います。でも、久しぶりに具合が悪くなった私は、ふと、精神的な病気も含む病気の人達に、健康な人達に語るように「熱く語る」のはストレスになるのではないかと思いました。

吐いている最中に背中をポンポン叩かれて「大丈夫!頑張れ!」と言われているような気持ちなんじゃないかと、、、。(これは大学の友達が、病気知らずの元気な彼氏に実際にそうされた時の感想です。^^;)私は病気の人達の執り成しの祈りを沢山していますが、決して他人事にならず、必ずしも励ましの言葉ではなく、静かに寄り添って影で祈ることも大切なことを学ばせて頂きました。

一昨日の夜までで、昨日も今日も何ともなくすっかり元気になっています。^^

どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。(ローマ人への手紙15:5-6)

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