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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


主は聞いておられる(再掲)

昨日副牧師先生のお薦めと牧師先生のメッセージで、完全な解決を持っておられる神様に心の重荷・問題を委ねる大切さを学びました。今朝、まさに一人ではどうすることも出来ない重荷を抱えていた時の証を紹介した昔の日記を見つけました。

相変わらず長いのですが😅、ご興味があったら、どうぞご覧下さい。😄

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主は聞いておられる(2007-04-06)

 一昨晩、或る姉妹と電話で話をしていました。色々話していたのですが、気がついたら二つ前の会社の通勤時に教えられたことを一生懸命話していました。主は、喜びの時も悲しみの時にも、私達がいつどこにいてどんな状態にある時でも、いつも共にいてくださり、変わらない御愛を持って私達を愛し導いて下さるお方です。

本当に畏れ多いことなのですが、主は私達の個人的な小さなことにも御関心を持っておられ、御介入されることを喜ばれるお方です。神様は最も身近で完全に信頼出来る方であり、私達が呼べば必ず答えて下さるお方です。ということは、讃美もつぶやきも全部主は聞いておられるということなのです。(私達は気をつけなければいけません。(^_^;;)

昨日の朝通勤時に、ふと一昨晩に話した証は、ホームページの証のどの辺に書いたかなぁと思い巡らし、もっと詳しい内容を読んで見たくなりました。でもフレーム対応なので、携帯では見ることが出来ません。確か50位書いた中の35番目あたりの証かもと見当を付けて、そのページの直のURLを入力したところ、まさにそのページが出て来たので朝からビックリしました。本当にお導きでそれを読むことが出来ました。

10年前の随分長い証でしたが、読み進めて行くうちに、当時の切ない気持と嬉しい気持がよみがえって来ました。あの時本当に鮮やかに主は私に語って下さったのです。そのことを思い、朝から電車の中で涙をこらえていたのでした。

当時2つ前の大好きだったデンマークの会社が、日本企業と合弁会社を設立する話が進んでいました。双方の社長や本国の社長も含めて国内外で会議が開かれ、社長秘書だった為、その議事録を見ることが出来ました。しかし、他の従業員が知り得ない情報を知ってしまった為に、結果的に苦しむこととなってしまいました。

本社が東京ではなく神戸になること、そしてその半年前に埼玉にあった工場を閉鎖することなどを知り衝撃を受けました。工場で働いている十数人の人達の多くは40代後半から50代だったので、その家族のことや 色々なことを考えると辛くてたまらなくなってしまいました。

その時の証を下記に抜粋しました。

私はだいぶ前から、この会社の経営と自分が定年まで働けるようにお祈りをしていました。それで、イェス様に、「あなたにお祈りをしてきたのに、どうしてこういうことが起こらなければならないのですか。もしボスが、工場の閉鎖のことをその一ヶ月前に従業員に発表するようなことになったら、あの人達はどうしたらいいんですか。」と言いました。私はだんだん精神的にも肉体的にも疲れて来ました。とても苦しい日々が続きました。私はイエス様に、「あと半年もとても耐えられません。」と祈りました。

 

すると、7月の上旬になって、私のボスが、内々だけでスタッフの前で、進めているプロジェクトや私達が現在置かれている立場について発表してくれました。私は、ボスがみんなの前で早めに全てを話すように、主が導いて下さったことを心から感謝しました。

 

一時は良かったのですが、私の心は何か重たく暗いままでした。ある日、マーリン・キャロザース牧師が書かれた「讃美の力」を読むように導かれました。この本は4年以上前に読んだ本でした。

 

私はそのころ、3週間ほど前から原因不明で右膝が痛んでいました。ある朝、Y駅で電車を降りて、階段を上がると、つい、「痛いなぁ。」と言ってしまいました。でも、ふと思いました。私がイェス様を信頼することが出来れば、悪い事でさえも感謝することが出来るはずだと。

 

階段の中段の踊り場の所まで、私は声に出してイェス様に、「イェス様、あなたが私にどんなことにも感謝し、いつも喜んでいるように望んでいらっしゃることを知っています。この膝の痛みでさえも、感謝しなきゃいけないですよね。イェス様、あなたを讃美します。あなたは、私に益となるようにこの痛みをも用いることが出来ます。」と言いました。

 

その直後、右足から階段を上がったところ、膝の痛みが突然なくなったことに気がつきました。あんなに痛かったのに、走って駆け上がることも出来たのです。イェス様は、呼べばすぐ答えるところにいて下さって、いつも私の声に耳を傾けて下さっていることを知り感激しました。私はビックリしたのと嬉しさでボーっとしていました。

 

H線に乗り換えても、心の中でずっとイェス様に話しかけていました。すると、「あなたが今暗い気持ちになっているのは、あなたが独りでは決して担いきれない大きな荷物を抱えているからです。それはあなたの荷物ですか?あなたの問題も彼らの問題もわたしに委ねなさい。あなたにとっての最善を知っている私を、ただ信頼しなさい。あなたはただ私の手に荷物を下ろして、私の平安の中に休んでいればいいのだ。」と、私の心に響いてきました。

 

私は、ビックリして、「は・・はい。イェス様。私は間違っていました。私が憂鬱だったのは当然のことでした。私は小さな自分の両肩に重荷を担っていたんですから。主よ讃美します。」と答えていました。すると、突然、私の心が完全な主の平安と喜びと愛で満たされました。それから今の今に至るまで、私の心の平安は揺るぐことはありませんでした。

(この証はまだ後まで続くので、続きはホームページの証のページ「8/31/'97証会」を御覧下さい。)

エス様は金曜日に十字架にかけられ、死んで三日目によみがえられました。主は罪のないお方なのに、私達の罪の身代わりとなられたのです。本当ならば、私達が肉が裂ける程鞭打たれ、血を流し苦しむところだったのです。でも主は、全人類の罪をおひとりで負われたのです。

これほどまでに、命をかけてまで私達を愛してくれる人はいるでしょうか。イエス様以外いらっしゃいません。主の深い御愛を思う時、私がKIちゃんを通して23歳で救われてから今に至るまで、イエス様に対する思いは強く深くなることはあっても弱くなることは決してありません。

主は昔も今もこれからも、私達の生活の細部にまで影響し働かれる方です。私は実際の信仰生活を通してそれを体験して来ました。人間的な喜びは一瞬のことで消えてしまうかも知れませんが、主から来る御霊の喜びと平安はいつまでも消えることはありません。この方を信頼し希望を置くことで失望することは決してありません。その素晴らしい主を宣べ伝えて行きたいです。日曜日はイースターです。心から私達の主を讃美したいと思います。

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何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

(ピリピ4:6-7)

私が信仰の初心者だった頃、祈り方も良くわからなかったと思うのですが、ありのままにイエス様にお話していました。その祈りのスタイルは今も変わっていません。御言葉は真実で、生きて働いています。イエス様の御手に問題を明け渡すことが解決の鍵です。

 

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