受難週間になったので、それにちなんだ現地の写真を掲載することにします。ウェブサイトの「イスラエル旅行(2010年11月)」(10)(11)(12)から抜粋しました。ウェブサイトの写真の方がサイズが大きいのでより臨場感があるかと思います。
ゲッセマネの園
ゲッセマネの園に関しては、イースターの前に散々写真をアップしたので、もう見飽きたよという方もいらっしゃるかと思います。^^;そういう方はこの動画をご覧ください。私自身も初めて観る動画で、写真の一部分の記憶しか残っていなかったので、記憶が蘇り嬉しかったです。^^
エルサレムの城壁の東、オリーブ山の麓にある園。イエス様も歩かれたと言われる長い坂道(今は舗装されていますが、当時は岩盤でした)を降った所にゲッセマネの園の入り口があります。
メシアが来た時に黄金門から入られたら困るので、イスラム教徒達が閉めてしまった。8つある門のうちここだけが閉ざされている。
イエスはこれらのことを語り終えて、弟子たちと一緒にケデロンの谷の向こうへ行かれた。そこには園があって、イエスは弟子たちと一緒にその中にはいられた。
(ヨハネ 18:1)
ゲッセマネは、ガス(しぼる)とシェマーニーム(「油」の複数形)の合成語。「油しぼり」という意味。(マタ26:36、マコ14:32)
それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。(マタイ26:36)
いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。(ルカ22:40 )
苦悶の教会
イエス様が良く祈られた場所に、現在は苦悶の教会(万国民の教会)が建っている。この教会の下から4世紀後半頃の教会の跡が発掘された。4世紀の巡礼達の記録によれば、ここがイエスが祈っていた場所であり、北へ90メートル行った所にある洞窟が、イエス逮捕の場所であるとされている。
暗くてわからないのですが、祭壇の中央にイエス様が苦悶して祈られた岩があります。人混みで私は見られなかったと思います。
父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。 イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。(ルカ22:42-44)
ここからも黄金門が見えました。
鶏鳴教会
遠くに見える建物は、大祭司カヤパの官邸跡に建つ鶏鳴教会(The Church of St. Peter in Gallicantu)です。gallicantuはラテン語で鶏の鳴き声という意味です。
正面の扉と中川健一先生。^^
ちょっととピントがずれてしまいましたが、これは教会内部です。
ここでペテロは、イエスを3度否んだ。
教会には地下牢があります。
今は観光客の為に照明と階段が付いていますが、当時はもちろん付いていません。あるのは天井の丸い穴だけです。とらえられた罪人はここから吊り降ろされ、自力では二度と地上に出ることは不可能です。
この地下牢はイエス様が地上生涯最後の夜を過ごした場所と言われています。私達はここで礼拝し祈りました。涙がポロポロこぼれて、胸が引き裂かれるような気持ちになりました。クリスチャンであれば、とても平常心ではいられない場所だと思います。
教会の中庭です。
イエス様が連行される様子を描いたものです。
下の像は聖書の下記の部分を表したものです。
人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。 すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。 ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。 しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。 約一時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。 ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。( ルカ22:55-60)
多くの道は長い間に変化してしまっていますが、この石段は第二神殿時代の石段で、イエス様が連行され歩かれた可能性が高いと言われています。
正面の扉は立体的な絵になっています。
イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」。 ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。(マタイ26:34-35)
斜めから撮ってみました。イエス様が指を3本立てているのは、ペテロが三度否認すると預言していることを表しています。
この日はお天気が良く、美しい建物が青空に映えます。
教会の屋根にはシンボルの鶏が見えます。
鶏鳴教会からの眺め。
鶏鳴教会の動画を見つけました。自分の限られた枚数の写真だけだと忘れてしまった記憶が蘇ります。動画は臨場感があって伝わりやすいですね。
ヴィアドロローサ
ヴィア・ドロローサの動画があったので助かりました。じっくり観たいと思います。ヴィア・ドロローサは約700m~800mの道のりで、ピラトの官邸からゴルゴタの聖墳墓教会までを言います。
この動画は、第1~第5ステーションまでが解説されています。
ヴィア・ドロローサはラテン語で「悲しみの道」という意味で、これは十字軍時代に始まった考え方だそうです。現在のような形になったのは14世紀で、オスマン・トルコ時代の16世紀半ばにさらに発展しました。時代によって道順が変化し、14ステーションのうち聖書にあるのは9で、残りの5は伝承です。現在の14ステーションは19世紀に確定しました。
解説は下記リンク先とハーベスト聖地旅行ハンドブックを参照しました。
https://www.biblewalks.com/ViaDolorosa#Overview
第一ステーション
総督ピラトがイエスを有罪とする。アントニアの要塞の中。現在エル・オマリエというアラブ人の小学校の敷地内にあります。
第二ステーション
鞭打ち。ここでイエスは十字架を受けた。宣告の小聖堂と鞭打ちの教会。下の写真は宣告の小聖堂です。(これまで、鞭打ちの教会と記憶違いしていました。^^;)
私達はここで礼拝を捧げることが出来、又このように手で触れて主を想い祈りました。イスラエルに行く前は、ゲッセマネの園で泣いてしまうのではないかと想像していましたが、実際は全く違いました。私はここで主の御臨在を強く感じ、何とも説明のしようがない程の気持ちになりました。皆泣いていました。ここも辛い場所でしたが、やはり地下牢が一番辛かったです。
第三ステーション
イエスは十字架の重みに倒れる。伝承。
第四ステーション
母マリアとの出会い。伝承。
以前はここの場所でしたが、お店が陣取っていて景観が良くないので移動したそうです。
第五ステーション
クレネ人シモン、十字架を負う。
下記動画は、第6ステーション~第14ステーションまでが解説されています。
第六ステーション
ベロニカ、イエスの顔をハンカチで拭う。伝承。
第七ステーション
イエス、二度目に倒れる。伝承。
写真がなかったので、下のサイトからお借りしました。
https://www.biblewalks.com/ViaDolorosa#Overview
第八ステーション
写真がなかったので、下のサイトからお借りしました。
https://www.biblewalks.com/ViaDolorosa#Overview
第九ステーション
写真がなかったので、下のサイトからお借りしました。
https://www.biblewalks.com/ViaDolorosa#Overview
聖墳墓教会の入り口
(最後の5ステーションは、すべて聖墳墓教会の中にある。)
第十ステーション
イエス、衣を脱がされる。
写真がなかったので、下のサイトからお借りしました。
https://www.biblewalks.com/ViaDolorosa#Overview
実際はこの建物の中にあることが判明。^^;動画の11:40辺りから。分かりにくいですが、スクリーンショットを撮りました。
第十一ステーション
イエス、十字架にくぎ付けにされる。
ラテン小聖堂の祭壇
第十二ステーション
イエス、十字架上で息を引き取る。ギリシャ正教会小聖堂の祭壇。
祭壇の下は十字架が建てられた場所で、穴に手を入れて岩にさわることが出来る。
第十三ステーション
イエス、十字架より降ろされる。
死体を置いたとされる石がある。現在の赤石は下の岩を保護する為大理石。巡礼者たちが削らないように。
第十四ステーション
イエスを墓に納める。
暗くて上手く写真を撮ることが出来ませんでした。下のサイトからお借りしました。(いつくかの部屋があるのですが、その中の一部だと思います。ヴィア・ドロローサの最終地点で、円形のホールに位置する。イエス様の墓は、円形の中央にある小さな建造物の中にあります。)
https://www.biblewalks.com/ViaDolorosa#Overview
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日本語字幕付の『マタイ受難曲』を見つけました。嬉しい。^^うちの聖歌隊が導入の合唱をドイツ語で歌ったのは10数年前だったかも知れません。聖歌隊では叶わないけど、バッハ等の宗教音楽を歌うどこかの合唱団に入って歌ってみたいです。夢ですね。
私がドイツ語に興味を持ったきっかけはバッタの『マタイ受難曲』だったような気がします。当時箱入りのLPで1万円位しました。OL一年生の私のサラリーではとても高額でしたが、何ヶ月か悩んで購入したのを覚えています。
個人的には『ヨハネ受難曲』も大好きです。ドイツ語は理解出来なかったのですが、マタイより短めで、メロディアスでドラマチックな印象を受けました。今週はこれらのバッハの受難曲を聴き、感謝しつつ静かに過ごしたいと思っています。
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