実際の聖地旅行(2010年11月)は鶏鳴教会から西壁でしたが、鶏鳴教会の内容は以前何度もアップしたものと全く同じなので後半に掲載します。なお、分かりにくいので、これまでの聖地旅行に通し番号を付けました。今回は11番目になります。
解説の殆どは当時の聖地旅行ガイドブックからの引用です。
西壁
西壁そのものの動画は8:18辺りになります。
西壁は、ヘロデ大王が建設した神殿城を支える石壁の西側の部分。
圧倒的存在感のある岩のドーム。
ユダヤ教の燭台メノラーです。メノラーには7本の燭台と9本の燭台がありますね。
7本と9本の違いについて。ご興味のある方は、英語ですが、、。
70年の離散後、ユダヤ人は年に1度だけ、神殿崩壊記念日(ティシャベアブ、8月9日)に壁に近づいて祈ることが許された。ここは至聖所に最も近い場所であり、ユダヤ人にとって聖所となった。1967年以降、壁の前が整理され大広場となった。2段掘り下げられたので、ヘロデ時代の石垣が7段目まで見えるようになった。
カルドという古い道路の遺跡
マハネ・イェフダ市場
ここは食料品が中心のマーケットです。
キッパというユダヤ教の男性が被る(頭にのせる?)帽子ですね。
鶏鳴教会
遠くに見える建物は、大祭司カヤパの官邸跡に建つ鶏鳴教会(The Church of St. Peter in Gallicantu)です。gallicantuはラテン語で鶏の鳴き声という意味です。
正面の扉と中川健一先生。^^
ちょっととピントがずれてしまいましたが、これは教会内部です。
ここでペテロは、イエスを3度否んだ。
教会には地下牢があります。
今は観光客の為に照明と階段が付いていますが、当時はもちろん付いていません。あるのは天井の丸い穴だけです。とらえられた罪人はここから吊り降ろされ、自力では二度と地上に出ることは不可能です。
この地下牢はイエス様が地上生涯最後の夜を過ごした場所と言われています。私達はここで礼拝し祈りました。涙がポロポロこぼれて、胸が引き裂かれるような気持ちになりました。クリスチャンであれば、とても平常心ではいられない場所だと思います。
教会の中庭です。
イエス様が連行される様子を描いたものです。
下の像は聖書の下記の部分を表したものです。
人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。 すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。 ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。 しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。 約一時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。 ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。( ルカ22:55-60)
多くの道は長い間に変化してしまっていますが、この石段は第二神殿時代の石段で、イエス様が連行され歩かれた可能性が高いと言われています。
正面の扉は立体的な絵になっています。
イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」。 ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。(マタイ26:34-35)
斜めから撮ってみました。イエス様が指を3本立てているのは、ペテロが三度否認すると預言していることを表しています。
この日はお天気が良く、美しい建物が青空に映えます。
教会の屋根にはシンボルの鶏が見えます。
鶏鳴教会からの眺め。
鶏鳴教会の動画を見つけました。自分の限られた枚数の写真だけだと忘れてしまった記憶が蘇ります。動画は臨場感があって伝わりやすいですね。
・・・続く
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