何故突然このツインルームの写真を記念に挙げたかと言いますと、Ramada Hotelは初日1泊と6日目、7日目も宿泊したからということもありますが、お風呂にまつわるあるエピソードがあったからなのです。そこには神様のユニークなお導きがありました。
1泊目の時の部屋は普通のシングルタイプでした。バスタブの栓はポップアップ式でした、お湯を張る前にチェックした所、栓が沈んだまま上がって来ないことが分かりました。困って中川先生の所に行き、先生にも見てもらいましたがやはり壊れていました。
翌朝朝食時に、先生が気遣って声をかけて下さいました。テレビでしか見たことのない先生とお話をしたくても、元々内向的な私、自分から声をかけることが出来ませんでした。^^;でも、このトラブルがきっかけで話すことが出来たことを喜んでいました。^^
そして、旅行最後の2泊に再びこのホテルに戻って来ました。エレベーターで上に上がって行き、他の人達は全員途中で降りて行ったのに、何故か中川先生と私だけエレベーターに残りました。「何故上に上がっているの?」「分かりません」のような会話。
そして、このツインルームに到着したのです。上のフロアは先生が泊まるような所だったので「何で??」と思いましたが、初日のトラブルで私に不便をかけたというホテル側の配慮で、急遽この部屋になったようでした。でも、バスタブの栓のトラブルが返って先生と話すきっかけになったので、全てを益と変えて下さった主に感謝しました。^^
オリーブ山
初日と同じ場所なのでダブる所もありますが、旅程表に合わせてご紹介して行きたいと思います。動画の最初の10分以内は運転手のヨッシーさんのお宅に40数人が招かれた、イスラエル人の生活が分かる興味深い内容でした。オリーブ山は12:20辺りからです。
なお、解説の殆どは聖地旅行ハンドブックからの引用です。
コンクリートで出来ているお墓。お墓を訪れた時に、お花ではなく石を乗せる習慣がある。ユダヤ人にとっては墓に触れることは汚れを意味するので、当時は白いペンキを塗って夜でも光ってお墓だと分かるようにしたとのこと。(動画の解説より。)
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。(マタイ23:27)
閉ざされた黄金門。
マグダラのマリア教会
金色の玉ねぎ型屋根の建物は、ロシア正教会のマグダラのマリア教会です。ここは立ち寄らず写真だけ撮りました。
主の涙の教会(主泣きたもう教会)
私としたことが、、、この教会を訪れた辺りの記憶が曖昧でしたが、中川先生の動画を観て色々な謎が解けました。^^;
7世紀の教会跡に1955年に建てられた。チャペルは「涙の滴」の形をしている。屋根の周りについているものは「涙壺」です。
いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、 「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら………しかし、それは今おまえの目に隠されている。 いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、 おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」。
(ルカ19:41-44)
ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。 見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。 わたしは言っておく、 『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』 とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。(マタイ23:37-39)
共同墓地の遺跡。1953~1955年、フランシスコ会聖書研究所がハガッティ師の指導で発掘。涙の教会の入り口右側に1世紀のメシアニック・ジューの墓を発掘。骨箱には各種のグラフィット(搔き絵)がある。
棺桶が小さいのは、再埋葬の習慣があったから。最初コンクリートで出来た大きな棺桶(6つ前の写真参照)に埋葬し、骨だけになった時に小さい棺桶に移し替えるからです。装飾が施されているのは身分の高い人のようです。
ゲッセマネの園
ゲッセマネの園に関しては、イースターの前に散々写真をアップしたので、もう見飽きたよという方もいらっしゃるかと思います。^^;そういう方はこの動画をご覧ください。私自身も初めて観る動画で、写真の一部分の記憶しか残っていなかったので、記憶が蘇り嬉しかったです。^^
エルサレムの城壁の東、オリーブ山の麓にある園。イエス様も歩かれたと言われる長い坂道(今は舗装されていますが、当時は岩盤でした)を降った所にゲッセマネの園の入り口があります。
メシアが来た時に黄金門から入られたら困るので、イスラム教徒達が閉めてしまった。8つある門のうちここだけが閉ざされている。
イエスはこれらのことを語り終えて、弟子たちと一緒にケデロンの谷の向こうへ行かれた。そこには園があって、イエスは弟子たちと一緒にその中にはいられた。
(ヨハネ 18:1)
ゲッセマネは、ガス(しぼる)とシェマーニーム(「油」の複数形)の合成語。「油しぼり」という意味。(マタ26:36、マコ14:32)
それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。(マタイ26:36)
いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。(ルカ22:40 )
苦悶の教会
イエス様が良く祈られた場所に、現在は苦悶の教会(万国民の教会)が建っている。この教会の下から4世紀後半頃の教会の跡が発掘された。4世紀の巡礼達の記録によれば、ここがイエスが祈っていた場所であり、北へ90メートル行った所にある洞窟が、イエス逮捕の場所であるとされている。
暗くてわからないのですが、祭壇の中央にイエス様が苦悶して祈られた岩があります。人混みで私は見られなかったと思います。
父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。 イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。(ルカ22:42-44)
ここからも黄金門が見えました。
ここまでが、7日目の前半です。・・・・まだ続きます。
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