先日の『最後の晩餐』のチケット取りの一連のことで、神様は私達がいつでもどんな事でも具体的に祈り求めることを願っておられ、又そのように主に寄り頼むことをとても喜ばれる方だと改めて感じました。信仰に入ったばかりの頃は、環境や感情によって左右され信仰がぐらぐらしていました。でも、色々な所を通され神様をより近く思えるようになった今は、かえって益々神様に対する信頼と確信が増すばかりです。信仰とは、神様と自分との信頼関係であり人間関係なのかも知れないと思っています。
数週間前のギリシャ語レッスンの時、クラスメートのペットのことが話題になっていました。普通の女性なのですが、何とトカゲを飼っているのです。(汗)海外赴任をしている友達のペットを代わりに飼うことになったそうです。私は子供の頃から猫や犬、大人になってからはセキセイインコを育て飼っていた経験がありますが、爬虫類は可愛いと思えるペットの部類ではなく、正直気持ち悪いとしか思えません。餌は生きたコオロギだそうです。(^_^;;
「気持ちわる〜い。信じられな〜い。」とかさんざんなことを言っていた私ですが、その翌日の午後彼女がtwitterでトカゲの様子がおかしいと獣医を探して大変な様子をツィートしていました。私は会社で心の中で祈りました。夜帰宅途中の電車の中で再びtwitterを見てみると、彼女が泣きながら辛い様子を書いていました。私は20代の頃、自分の手の中で小さなセキセイインコがどんどん冷たくなって死んで行ったことを思い出し、彼女の思いが痛いほど伝わって来て涙をこらえていました。
聖霊様は全てを御存じですから、彼女の気持ちがそのまま私に伝わって来たのだと思います。頭で考えたら、気持ち悪いと言っていたトカゲの為に祈るなんて考えられないことです。でも、電車の中では心の中で、そしてtwitterで『イエス様、どうぞ癒し主なる主の御手をのべて下さり、ペットの病を癒して下さいますように。そして、彼女の心に主の御愛を注いで下さり、慰めと平安で満たして下さいますように。』とお祈りの言葉をツィートしていました。もちろん最寄りの駅からは、歩きながら声を出して祈っていました。
神様は祈りに答えて下さり、彼女が駆けつけた獣医さんはその部類の獣医さんとしては名医と言われている人だったそうで、ペットは入院させ土曜日には元気になって帰って来たと喜んでいました。彼女も「heidiさん、お祈りありがとう。」と言っていました。私は一連の話をギリシャ語の先生にも話しました。「私の長い信仰生活で、トカゲが元気になりますようにと祈ったのは生まれて初めてですよ。(笑)」と。そういう話も、私達と一緒の会話に入って下さるのが嬉しいです。(笑)
私にとってたとえ気持ち悪いものであっても、他の人にとってはかけがえのない大切なものである可能性もあるわけです。人の価値観も尊重すべきで、私は自分の価値観でしか物事が見れなかったなぁと反省しました。気付かせて下さった主にハレルヤ感謝します!
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