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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


多様性を受け入れるって難しい(続)~心に響く主の御声

9月22日のブログの続きになります。。

heidi0330.hatenablog.com

7月中旬から今の職場で働いています。当時から何故この職場なのか不思議で日々祈っていました。そして、9月中旬過ぎのある朝、祈りながら会社に向かって歩いていた時、『全ての人に寄り添えるように』という言葉が心に響いて来ました。

9月22日の日記は、『神様の御計画があってここにいることは納得していて感謝しています。私はもっと砕かれて、多様性を知り受け入れることが求められていると思います。私はまだまだ成長期の過程にいるのです。^^;』で終わっています。

当時は、心に響いて来た言葉が上からなのか私の心の声なのかを吟味する必要がありましたので、『・・・求められていると思います』と書いています。でも、祈っているうちに、それは上からの声だと確信するようになりました。

毎朝慌ただしいのですが、家を出る前に教会の特別な課題の祈りをし、家を出るところから最寄りの駅までは歩きながら日本語で祈り、電車の中では声を出さずに異言の祈りをし、会社に向かって歩いている時も日本語で祈っています。

これだけでも足りず、最近では会社の長い廊下を歩いて職場に向かっている時も祈っています。(執り成しの祈り以外で)毎朝重点的に祈っているのは「私の罪を示して下さり、悔い改めへと導いて下さい。主の御心に叶った、主が望まれる私に作り変えて下さい。」です。

そのような祈りは良く聞かれますので、あらゆる場面で自分の罪を気付かせて頂き、悔い改めの日々です。これまでとは真逆の職場環境と人々の中に送られたことが、最初は罰ゲーム^^;かと思いましたが、世間知らずの私を訓練する為だと分かりました。

時給が低いので、長く居ればいる程赤字経済になって行きます。私はいつまでここにいるのだろう、神様はいつOKを出して下さるんだろうと思っていました。つい数日前、会社に向かっている時に、『(同僚を)仲間と思えるまで』と心に響いて来ました。

これまでの流れから、これは上からの声だとすぐに理解しハッとしました。そして、いかに自分が人を偏り見、人を裁き、上から目線だったのか恥ずかしくなりました。(9月22日の日記を読んでも分かります。^^;)イエス様は神様なのに、人となり低くなられて罪人の私を友と呼んで下さるのに、、。

前回の日記で引用したマタイ7:1-5はいつも心に留めています。私は、全員ではありませんが、常識がなくレベルの低い話や洗練されていない人たちとは関係ないと思っていました。でも、そんな風に思う私には愛が欠けていたのです。もっと遜って、心の底から周りの人達を仲間と呼べるようにならなければ、、、。

実はこの出来事を、クリスチャンの姉妹に話す前に、今日美容院に行った時に美容師さんに話しました。美容院に行く時にはいつも「有意義な時間となり、又、機会あるごとに神様の話が出来ますように。」と祈っています。

その美容師さんとは、帰る時も立ち話をしていました。「話が長くてごめんなさいね。クリスチャンに話すようなことなのですが、私の日常なので。^^;」と言うと、「とても深い話を聞かせて頂きました。」「クリスチャンが好きなんです。」と言われました。

又日記が長くなりそうですので、この辺で終わりにします。。^^;

 

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