HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


3月11日のこと(続)

2回目の大きな揺れがあった後、PCを切って早くビルの外に出ろと言われ、仕事を途中で放り投げるのは躊躇しましたが、ビルが崩れたら出られなくなるからと言われて、非常階段を降りて外に出ました。既に電車が止まっていましたので、歩き出しました。その時はまだ、そのうち電車が動くと思っていました。

会社を出て1時間近く経った所で様子を見ていました。依然電車再開の見通しが付かないので、気が遠くなる程歩くので決心するには時間が要りましたが、池袋まで歩くことにしました。通話は出来ませんでしたが、感謝なことに私のスマートフォンのナビゲートしてくれる地図が役に立ちました。方向音痴の私ですが、同僚と一緒で心強く19時すぎにサンシャインビルや西武デパートの明かりを見てホッとしました。会社を出て4時間以上経っていました。

ホッとしたのもつかの間、有楽町線東上線も不通でした。東上線に至っては、早々と不通の決定をしたという放送があり、東武鉄道は努力もしないのか酷いな・・と思いました。(西口から東口に行こうとする人達は階段にロープが張られて移動も出来ず、駅員と言い合いをしていました)。私達は西口に歩いて行き、同僚はそのまま歩いて帰るといい別れました。私はその近くに住んでいる姉妹のマンションを訪ねました。インターフォンを押しても全く応答がありませんでした。

タクシーもだめだし、メトロポリタンホテルも部屋がないと言われました。公衆電話の列に並び、30分か40分毎に教会に電話は出来ましたが、予想以上に車の渋滞で送迎は不可能なことがわかりました。携帯メールは何とか繋がっていて、お祈りをお願いするしか出来ませんでした。マンションにいなかった姉妹は、携帯メールがなくPCメールでしたので、帰宅しないと私の緊急のメールは読めないわけです。

時間が経過するにつれ、寒さが身にしみてどうにもならなくなりました。再びメトロポリタンホテルに行くと、寒さをしのぐ為に大勢の人がロビーやあちこちに溢れていました。ホテルの厚意で、毛布代わりにするシーツや椅子、お茶などが用意されて、電車の運行状況も頻繁に放送されていました。私はちょうど空いた椅子に座ることが出来ました。サービス業とはいえ、なかなか出来ないことだと思いました。

23時50分頃、留守だった姉妹からやっと返信が来ました。どうやら知人の所に避難していたようです。0時過ぎには彼女のマンションに着きました。会社よりも遥かに高い階にある住まいで、高層ビル特有の揺れる構造になっています。余震の大きさによって、大小の揺れがしょっ中あり気が抜けない感じでした。(汗)でも、野宿をしないですみ、姉妹と神様に心から感謝しました。テレビのニュースを観て、どれだけ凄まじい地震だったかを知りました。何でこのようなことが・・・と思うと言葉を失いました。

3時頃にやっと眠くなり、相当疲れていたせいか4時間完全に熟睡し、7時に目が覚めました。4時頃に相当揺れたと言うことを後で聞き、普段眠りが浅いのに熟睡させて下さった主に感謝しました。高層階での強い地震は本当に怖いですから・・。彼女も2月にイスラエルに行って来たばかりで、信仰的な彼女と色々なお話が出来、どんな時でも主の御愛の深さと御臨在を感じる忘れられない日となりました。