HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


やっぱりお祈りですね♪

毎朝仕事のことでは、単純作業から昨日のような難しいレポート作成まで、全ての仕事にイエス様の御介入を祈っています。いつも主が仕事を導いて下さり、私の考えの及ばない所で知恵を頂きたいと願っているからです。でも、昨日の朝通勤途中の電車の中で、何だか急に心配な気持になってしまいました。原因は特になく、いつものようにi-Podでビデオの英語ニュースなどを観ていて、何となくじわじわと不安な気持ちになって来たのです。

こういうのは、平和な心を落ち込ませようとするサタンの常套手段なので、イエス様の御名によって追い出しの祈りをしました。その後はリラックスするBGMに切り替えて本を読んでいました。ページをめくって最初に目に飛び込んで来たのは下記の御言葉でした。

神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。(テモテへ第二1:7)

ちょうど昨年の今頃霊の戦いの中にあった時、力づけられ強く励まされ、主への信頼をより強められたのはまさにこの御言葉でした。その後も何度となく導かれている聖句です。昨年は必死な問題を抱えていたので、お祈りには必ずこの聖句を入れていました。昨日の朝、また同じ聖句によって不安は払拭されました。感謝です。

さて、昨日のランチタイムの日記では、順調に進んでいると思われていたレポートにエラーが出て、その原因がわかった所まで書きました。原因がわかったことは本当に感謝でした。難しい仕事や単純作業でも山ほど積まれて行く書類の山に以前はパニックになっていました。でも、今は「イエス様お願いします。」と祈ると共に、自分自身にも「大丈夫、慌てないで。ちゃんと出来る。」と小さい声で言うことにしています。自分自身にも改めて言い聞かせることによって、主の平安を頂き出来るという確信が持てるからです。

前任者は時短で退社する為、何かあった時に聞けるようにと夕方にはほぼレポートは完成させていました。人事用のは問題なく終わっていたので、後はちょっと加工したり追加して財務用にファイルを送るだけでした。彼女は、何かあったら自宅で(会社の)PCを観ているからと言ってくれました。その時は、今回は楽勝で終わると思っていました。

さて、財務に送ろうと思った矢先に、ふとあることに気が付きました。(気付かせて下さった主に感謝します!)その為、応用をしてレポートを直す必要が出て来ました。メールを送信した後、メッセンジャーのチャットのウィンドウが出て来て、リアルタイムでチャットをすることが出来ました。メールに書いた方法で大丈夫とのことで、問題なくレポートが完成しました。

4月は新卒と中途入社者が100名以上も入って来たので、上司がデータ入力や入社書類のハンドルを他の2、3人にも振ってくれて、本当に助かりました。今ほど同僚に助けられる仕事をしたことはありません。それでも3月の残業時間は44時間になってしまいましたが、3月は健康診断関連でも仕事が殺人的に増えるので仕方がありません。今月は残業を10時間は減らしたいです。

* * * * * * * * * * * *

やっぱりお祈りが大事ですね!昨日はつくづく思いました。

クリスチャンにとってお祈りは呼吸と一緒です。お祈りをやめることは呼吸を止めることと一緒で、霊的に死んでしまうということです。そして祈りは神様とのコミュニケーション。決して堅苦しいお祈りの文を唱えることではなく、見えなくてもイエス様がいつも共にいらっしゃるので、日常会話と一緒で、とても親しいコミュニケーションであり又楽しいことです。

教会で最近御主人を亡くされた御婦人ですが、彼女によると喧嘩をしたこともなく、イエス様みたいに優しい御主人だったとのことで、心に穴がぽっかり開いてしまったような状態だと言います。本当に素敵な御主人だったのだろうなと思いました。でも、適切な慰めの言葉もみつかりません・・・。

「○○さん、私は独身なので寂しいこともありますが、夫や子供に気持ちが分散することなくイエス様一筋に心が向けられるのは感謝だと思っています。ヨーロッパ旅行中の時は特に、『イエス様おはようございます。』『今日は良いお天気ですね。』『どこに行きましょうか。』といつも声をかけて旅行していますよ。○○さんも、そうしたらもっとイエス様が身近になって心が休まると思いますよ。(^_^)」と私。

「ありがとう。そうしてみるね。(^_^)又、良い話を聞かせてね。」と帰って行きました。彼女は私が24歳の時に初めて証をした時のことを何故か鮮明に覚えていて、あの時と全然変わっていないといつも言います。(うーん、ずいぶん見た目は・・・(^_^;;)彼女はいつも「又良い話を聞かせてね。」と言います。それは多分、いつも神様の証を熱く語っているからなのかも知れません。私も誰かの証には心を踊らされます。まさに御霊はひとつですからね。(^_^)