HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


祈りは明け渡し

私の牧師先生が良く言っておられることですが、私達が何かについてお祈りを導かれる時には、その時点で既に神様がそれを御用意されているということ。答は確実に神様の御手の中にあるのです。

祈っても祈っても何も起こらないし、何の反応もない、むしろ悪い方向に向かっているのではないかとさえ感じられるようなことがあるかも知れません。神様は自分の祈りを聴いておられるのだろうかと。私達に耳を与えられた神様は、必ず聴いておられます。声にもならない私達の心の声も聴いておられます!

先週は雨が多かったので、早天に行くことが殆ど出来なかったのですが、自分の仕事のことも引き続き祈ることが必要なので再開しようと思います。そもそも自分の仕事や生活の為に祈る為に早天に通うことを決めたのではなく、一番大きいのは他の人達の為の執り成しの祈りなのです。

早天に通い始めて2週間位の時に自分の仕事がらみの問題が起こって来た為、それが或る程度目処が付くまでに4ヶ月位掛かってしまいました。しかし、その問題について祈っている過程において、悪戦苦闘しながら、祈りについて大切なことを学んだような気がします。

自分の希望を叶えて欲しいと、それだけを目的として必死で祈ることは間違いであるということです。私は答を得るまで、自分自身が砕かれ変えられることを求められました。そうして行くうちに、自分の繁栄や幸せよりも神様御自身を知りたいという思いが強くなって来ました。

崖っぷちを歩かされたことは何度もありますが(笑)、ギリギリを経験すると、「もう私の手には負えません。どうか、神様のお好きなようにして下さって結構です。」となります。自分で問題を握っているうちは解決はしません。神様の御手が動く時というのは、自分の手から問題を放して、信頼して神様の御手に完全に明け渡してからなのです。

わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの光のように必ず現れいで、冬の雨のように、わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される」。(ホセア書6:3)