HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


水瓶(2/2/'03の日記)

たまたま過去日記を見ていたら、チョーヨンギ先生の名前があったので日記を読んでいました。下にコピーします。

(以下は2/02/2003の日記です。)

もう十数年も前のことですが、チョーヨンギ先生の番組「幸福への招待」(たぶん・・)のメッセージの中で、天国を見て来た人の話をしておられたことを思い出しました。天国には、私達それぞれの住まいが建設中だというのです。普段私達が祈っている、地上から送られてくる色々なお祈りが、天国の自分の家を建てる材料となっているのだそうだ。それは大変、お祈りを怠っている人は、いつまで経っても自分の天国の家は建設されないままなのだ。

後、いつも思うのですが、お祈りを捧げると、それが天の水瓶に注がれて行き、絶え間なく注がれて水瓶に満ちると、それが傾けられて祈りの答えが祝福の雨となって天から注がれるのではないかと。だから、大きな問題は大きな水瓶、小さな問題には小さな水瓶が用意されている。でも、それぞれの信仰の度合いに従って、その水瓶は、一人一人にカスタマイズ?されているのです。(^_^;; これは私の想像で、イメージなんですが・・。

私の仕事が嵐に突入したのが19日の週からでしたが、その直前に導かれて、早天祈祷会で祈れるようになって、確かに睡眠時間は減ってしまったものの、心の平和が保たれているのは、お祈りが積み重なって来たからなのかも知れないなと思っています。お祈りの目的は違うことろにありましたが、一石二鳥どころではない∞(無限大)のお恵みでした。時間に追われている毎日であるからこそ、神様と静かに向き会う時間が必要なのかも知れません。

昔貿易事務をやっていた頃も、毎日が残業続きで夢の中でも仕事をしていたことがありました。上司と二人で船積みをやっていたのですが、それぞれが目眩がして倒れるとかフラフラでした。あの時真剣に『やばいなぁ』と思ったのは、道端に咲いている小さなお花を見て、いつもの私だったら、綺麗とか、可愛いとか、健気に咲いているとか、何かしら感じるものなのに、生きている花を見ているという感覚がなく、自分の心にビビッドな感性のようなものが消えてなくなってしまったような危機感を感じたのです。

結局そこは色々な理由で辞めましたが、次の会社に入るまで、2ヵ月間完全に休息が必要だったことだけ覚えています。今感謝だと思えることは、自分も当時の赤ちゃん信者から少しは大人の信者になっているので、問題に対する対処の仕方のノウハウもわかって来ています。ノウハウと言っても、結局は、「何かあったら神様のところに問題を持って行く」、それにつきるような気がします。特に、クリスチャンになって間もない人は、教会の牧師先生の指導を仰ぐことが大切です。もちろん何十年信仰を持っていても牧師先生の指導を仰いでいます。教会を通して主の御名があがめられる為です。