毎年新年礼拝に頂く「御言葉のお年玉」は、封をされた封筒に御言葉が書かれたカードが入っています。沢山ある封筒の中で無意識に選んだもので、その中のカードの御言葉が新年の進むべき指針となったり、一年経ってみると御言葉通りの一年だったなと思ったりするわけです。
昨年御言葉を頂いた時は、病気で手術や入院をする年になるとは夢にも思いませんでしたが、御言葉から受けた印象は「今年は色々な人とかかわる、ネットワークが広がる年になるだろうな」でした。病気を通して、確かにその通りの年になり、実姉との関係にも変化がありました。
いつも歩いてお祈りをしながら教会に向かうのですが、今日は特別に「御言葉のお年玉」について祈りました。コロナ禍には来れなかった友達も久しぶりに来ることになっていたので、それぞれにふさわしい、一年の励ましになる御言葉が与えられるようにと願い祈っていました。
そして今年の御言葉が、写真の通りイザヤ書53章5節だったのにはドンピシャだったので物凄く驚きました。いつも食事の度等に口に出して宣言(信仰告白)している御言葉のうちの一つだったからです。友達に与えられたのは彼女の今年一年を表すであろうような御言葉でした。
イザヤ書53章の4節5節を引用させて頂きます。
まことに彼はわれわれの病を負い、 われわれの悲しみをになった。 しかるに、われわれは思った、 彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、 われわれの不義のために砕かれたのだ。 彼はみずから懲らしめをうけて、 われわれに平安を与え、 その打たれた傷によって、 われわれはいやされたのだ。
(イザヤ書 53:4-5)
病気になってからは、普通に出来ていた小さなことをするにもイエス様の助けが必要になりました。今でも近所に買い物に行く時、行き帰り無事守られますように、(外出する為の)体力が与えられますようにと祈っています。御言葉にあるように、イエス様から離れたら何一つ出来ません。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。(ヨハネ15:5)
まことのぶどうの木であられるイエス様につながり、その御言葉を心にとどめているならば、何でも望むものが与えられるというのは本当に凄いことです。神様に求めることが出来るのは、救われて神様の子供にしていただいたクリスチャンの特権ですね。感謝です。
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
(ヨハネ15:7)
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