大幅に遅れてしまいましたが、10月16日の学習記録です。時間的な問題もありますが、細かい文法的なことを含む解釈が説明出来ません。通常は3節ずつ読み進めていましたが、時間切れもあり2節だけとなりました。
これまでと同様、ギリシャ語の下の訳は勉強会での訳で、品詞や時制などは一語ずつ出来るだけギリシャ語に忠実に訳されています。英文としては当然不自然なので、右側のNKJVや下の口語訳を参考にしていただければと思います。
文法的なことや詳細はBlue Letter Bibleをご参照下さい。URLは
https://www.blueletterbible.org/tools/interlinear/mgnt/jhn/3/2-3/です。
動詞の部分は緑色にしています。下3行の部分に関しては、オレンジ色の下線を引いたのが意味上の主語、青色の下線は目的語です。緑で囲った「δύναται ドゥナタイ」「ποιεῖνポイエイン」は英語の「It is able for 人 to 動詞」のような役割ですが、ギリシャ語の語順の決まりは未だに不可解で分かりません。^^;
この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
2節と同じように、青線が目的語です。緑の囲いは「人 is not able to 動詞」の意味です。主語は省略されているのですが、「δύναται ドゥナタイ」が三人称単数に続く動詞の形になっているので、流れから「he」が主語になります。
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