HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


ハッとして、祈り方を変えました・・・^^;

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私が昔輸出貿易事務兼海外営業アシスタントだった頃、自分は誰かをサポートすることに向いていると思い、転職をする準備として密かに秘書学校に通っていました。そして、その秘書学校に来ていた求人に応募し、晴れて外資系の役員秘書になりました。

本来は、ジュニアorグループ→シニア→エグゼキュティブという秘書のランクがありますが、私は最初から役員秘書だった為、その後も社長秘書で行くしかありませんでした。下のランクの秘書に応募することは、自信がないと思われ不利になるからです。

未熟だと自覚しながらも、自分の能力以上の仕事をさせて頂いていました。特に最後の会社では、押し潰されそうなプレッシャーを感じることもしばしばありました。毎朝会社に向かう道すがら、イエス様の御手に「文字通り」重荷を乗せて祈っていました。

今はそのようなジェスチャーはしないですが^^;、主が職場に御臨在下さり、上からの知恵を頂いて無事お仕事が全う出来るように祈るのは殆ど変っていません。今の仕事は苦手意識のある電話対応なので、一日中助けを必要として祈っているような状態です。

日々の変化する情報に合せて応答も変え、資料を持ち出すことも許されていないので、知識があやふやなまま答えるのは不安でした。その為、卒論の口頭試問の時のような虫の良い祈り「難しい質問が来ませんように。^^;」を何十年振りかでする始末でした。

不思議と私が願った通りに、自分の理解に沿ったような問い合わせばかりで、変な電話や難しい電話は他のオペレーターの方に行き、私は内心「私でなくて良かった。」と思いホッとしていました。何故か面倒くさい電話ばかり取ってしまう人達もいました。

だんだん仕事が慣れて来た頃、或る通勤途中の朝、私の祈りは間違っていると気が付きました。乱暴で理不尽な電話を受けて傷付くのは、誰にとっても嫌な筈ではないか、自分じゃなくて良かったと思うのは、自分さえ良ければ良いのかと疑問に思ったのです。

それで、出来るだけ理不尽な変な電話が来ないように、私ばかりではなく他の人達の心もお守り下さいと祈るようになりました。次々に電話を受けるピーク時期は過ぎたので、私が電話を受けていない時面倒な電話に対応している人がいたら、電話の相手が納得して早く電話を切ってくれますように等祈るようになりました。

思った以上に神経を使う仕事の為か、一昨日の休みの日には朝から夕方近くまでめまいがして、殆ど一日中ソファーで横になっているしかありませんでした。仕事の日にはシャキッとして元気に働いているのですが、次の日に疲れが出るのです。友達に話したら、似たようなことを言っていました。気は若くとも、歳には勝てませんね。^^;

 

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