HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


気付かされたこと

日曜日の朝、家から教会に行く間、いつものように祈りながら(話しかけるような感じ)歩いていました。そして、今まで疑問に思っていたことが分かったような気がしました。それは、自分の成長を阻んでいるのは自分自身なのだということです。

私はとても正直で、人にも自分に対しても評価はフェアです。人を必要以上に煽てたり褒めたりしません。勿論心から良いと思った時は、人に対しては率直に良かったと言い褒めます。でも、自分が何かを達成しても自分を褒めることはしないのです。

自分がすごく頑張って結果を出しても、出した時点で『私が出来たのだから大したことはない』という評価になります。外資系にいた弊害かも知れません。数値化された目標を達成しただけでは「あたりまえ」で「普通」の評価しかされません。

自分を卑下することはないのですが、周りから褒められても自分を凄いとは思わず、大したことはないといつも思います。でも、大人になってからピアノを習い始めて、先生(現在の声楽の先生)に褒められて伸びていった自分を思い出しました。

先生が産休に入った時、一時別の先生(先生のお友達)に習ったのですが、対照的にスパルタ式で萎縮してしまい結局続きませんでした。今の私は、まるであの時の代理のピアノの先生のように、自分自身をスパルタ式に責めているような気がしました。

大学の声楽実技の先生に、「教会で独唱をして皆から褒められても何とも思いません。プロの先生方から褒められるのでなければ。」と言ったことがあり、「先生、本当の所私の歌はどの程度なのですか?」と聞いて確認したことがあります。^^;

日曜日に色んな姉妹方と話す機会がたまたまあり、日曜日の朝の出来事などを話したら、「褒められた時は素直に喜びなさい。^^」と言われました。歌の先生には、素直な人と言われているのですが、褒められることに関しては素直ではないのかも。。

以前は無計画に一日を過ごしてしまうと、無駄な一日を過ごしてしまった自分は情けない最低と思うだけでした。でも最近では、小さなことでも「今日はこれとこれが出来ましたから感謝です。」と言い、自分を赦しあまり責めないようになりました。

もう以前のように完璧主義にはならないように、もっとおおらかに自分を褒めつつ育てて行けるようにしたいです。自力ではとても出来ませんので、祈りつつ神様に助けて頂いて、これからの人生を歩んで行こうと思っています。

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