HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


心を騒がせず平常心でいること

昨日は声楽実技のレッスンがあったので大学に行きました。家を出て乗り換え駅に着いた時、人身事故の影響で上下線とも完全に止まっていました。運転再開予定はまさにレッスン開始の時間だと知りました。

レッスン時間は50分なので、再開しても間に合わないかも知れない状況でした。先生にはLINEを入れ、遅延証明をもらったので出席扱いになるとのことでした。電話では、又来週お願いしますという感じでした。

難しい状況の中にあっても、不安や心配な思いに支配されることはなく、心が全く穏やかで平安でいられました。結果、先生と電話で話した直後に運転が再開し、30分でしたがレッスンを受けることが出来ました。^^

     * * * * * * * * * * *

心を騒がせないことが大事だということは、数年前の朝の通勤電車の中での出来事を通して教えて頂きました。

ある朝、体格の良い男性が電車のドア付近に立っていました。電車が揺れた時、押した押さないのような状況になり、わざと押したかのように言われたので、つい「混んでいるんだから仕方がないでしょう。」と。。^^;

その出来事の直前まではとても気分良くすごしていました。聖書を読んでいたかイエス様のことを考えていたかだったと思います。でもその男性とのいざこざでイライラし、一瞬にしてとても不快な気持ちになりました。

『一体何?!』と心の中で呟いた時、はっと気が付きました。『これはサタンの分かりやすい常套手段じゃないか。^^;』と。イエス様は私達に平安を残して下さいました。神様の御支配の中にいる限り平安で安全なのです。

サタンは、私達の平常心を失わせ、最終的には信仰を失わせ地獄行きにするのが目的です。電車内の出来事は分かりやすいパターンでした。^^;一番怖いのは「知らないうちに」「いつの間にか」というパターンです。^^;

波風立たない静かな湖面のように、自分の心の「平常心」を保つようにしています。心がざわついたり、心配や不安な気持になったら、いつも「主の平安の中に居させて下さい。」と、どこにいても、歩きながらでも祈っています。

不安や心配は、サタンに働く機会を与えることになります。心に平安がないと良い結果は得られません。祈りは、信頼してお任せすることだと思いますが、もし平安がないならば、問題を自分で握りしめたままなのです。神様に全託することが最善です。^^

わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
(ヨハネ14:27)

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