私のリビングルームの天井には大きな照明が二つついているのですが、蛍光灯が切れると小柄な私では取り換えるのが難しく、どうしても男手が必要になります。ちょうど一年前に、片方の蛍光灯が切れ、台所の一つもしばらく切れたままで不自由をしていましたが、背が高いYに来てもらい、二つとも交換して貰い助かりました。
昨年その話を献身者のMさんにしたところ、「遠慮しないで教会に連絡して下されば良かったのに。」と言われました。教会は大きな家族なので、病気になれば体調に合った食事を届けて下さったり、至れり尽くせりです。とても恐縮してしまいます。大勢の信者がいるので、私の蛍光灯の交換まで手を煩わせたくないと思っていたのです。
結局超多忙のY君をあてにするしかないなと思い、大分前にお願いしました。彼は都内に越してしまったので私の家は遠くなってしまい、なかなか機会がありませんでした。暗くなった部屋にも慣れかけましたが、「やっぱり暗いの・・。あなたに換えてもらいたいけど、教会にお願いするしかないかな・・」と言ったら、忙しい合間をぬって来てくれました。
仕事の関係で大幅に来るのが遅れ、延々と待っていましたが、わざわざ貴重な時間を割いて来てくれるのを、申し訳ないのと嬉しい気持ちでいっぱいでした。すぐに蛍光灯を交換して貰いました。何かものすごく明るくなって、ベランダのお花もよく見えるようになりました。たまたま二日程体調が悪く、肩凝りもひどかったので、甘えついでに肩も揉んで貰いました。(笑)
教会と言いまだ救われていないY君と言い、見返りを期待しない無償の行為です。肩はほぐれ、お部屋も心も明るくなったような気持になりました。Y君は、「寒いから(外で見送らなくて)良いですよ。」と気遣いながら、爽やかに帰って行きました。私も主に仕えるように人と接し関わりたいと思いました。
霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。(ヤコブ2:26)