HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


いよいよ♪

10月のヨーロッパ旅行中は寝言まで英語になったりしていました。そして帰って来て少し経ったある朝、何かドイツ語で「フィアツェンテヤンヌアール」と言った夢をみました。(あ、田崎先生がさかさまの飛行機に乗った夢をみた頃ね。(笑))起きてから「1月14日」って何、と思って調べた所、その日は一年前に突然天に召されたО先生の前夜式の日で、ソプラノのパートの讃美リードをさせて頂いた日でした。

この前の日曜日にО先生の記念会があり、何十年前の写真やビデオから編集されたDVDを大型スクリーンで観ました。天国に行かれた喜びはあるものの、もう親しく会話が出来なくなったことはやっぱり寂しく、やっぱり泣いてしまいました・・。音楽と共に生き、25年前に救われてからは音楽と神様と一緒に歩まれた先生でした。

先日のクリスマスコンサートでゲストでいらっしゃったイスラエルフィルのチェロ奏者エンリケさんと親交がありましたが、エンリケさんは、О先生とは言葉は通じなくとも、音楽を通して解り合っておられました。彼によると、О先生がピアノを弾かれた時その才能に驚いたそうです。どんなタイプの曲も全て頭に入っていて、楽譜を見ないで演奏することが出来たからです。もちろんバイオリン奏者でもあり、又色々なフィルハーモニーで指揮もされていました。御自分から知識をひけらかすことは決してありませんでしたが、私がオペラのこととかどんな質問をしても喜んで答えて下さいました。

О先生はバッハが大好きでした。先生には、バッハの生誕地アイゼナッハや、音楽総監督をしていたライプツィッヒにあるトーマス教会に行かれたら良いですよなどと良く話していました。今は天国で直接バッハと語り合っているかも知れません。(^_^)私たち聖歌隊も、ここ6、7年はヘンデルの『メサイア』が中心でしたが、次のイースターに向けていよいよ『マタイ受難曲』からの有名なコラールの練習が始まりました。

思えば私がドイツ語に興味を持ったのは、聖歌隊に入って聖歌讃美歌を歌うようになり、ハードロックから完全にクラシックに音楽の趣味が変わってからです。そして宗教音楽→バッハ→ドイツ語となったわけです。今までドイツ語で歌ったのは、『もみの木』と『きよしこの夜』だけでしたので、『マタイ受難曲』を歌うことは夢でした。又、指揮者のM先生の厳しい御指導を受けることになると思いますが、心から楽しみにしています。