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久しぶりのリース作り~一番辛かったイヴを思う

 
 
 
 
 
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A post shared by ハイジ (@heidichan0330)

コロナの事もあり、2年近く会っていなかった友達に数日前に誘われて、一昨日の土曜日クリスマスリースを作りに出かけて行きました。彼女は、私が入院したことを知って気遣いや励ましのメールをくれた姉妹で、今回気分転換にいかがと誘ってくれたのです。久しぶりに会いたかったのと、元々手で作ることが大好きなので参加しました。

上のインスタの写真が作品ですが、小さな飾り以外は生の素材を使っているので、それぞれの良い香りがします。^^飾りは細いワイヤーやグルーガンで固定しています。改めて見るとちょっと華やかさが足りなくて寂しいかなと思います。^^;(後で飾りを追加するかも。^^;)まぁ、元々は内向的だった私らしく、控え目な飾りかなと。(笑)

リースは風雨にさらされないように、家の中のリビングの壁に飾りました。今は見るのが切ない、フルメンバー6人だった頃の超新星(今は5人のSUPERNOVA)のタペストリーをやっと外す時が来ました。替わりに、リースを飾りました。少しずつ色が茶色に変わっていくと思われますので、このまま年を越してずっと飾って置くかも知れません。

ブログのアイコンに私の小さな写真を使っています。これは自分の証をHPに書いているので、真実だと言うことを表したかったからです。このマスク姿も私です。この後美容院に行く日だったので、髪も服もみすぼらしい感じで恥ずかしいです。^^;まだ祈っている所ですが、今後何かを本格的にするようになったら、顔出しをすると思いますが、今はちょっとだけの顔出しです。(笑)

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リース作りに誘ってくれた友達とは色々な思い出があります。私が最悪に悩み苦しんでいた若い頃、だいぶお世話になりました。クリスマスで思い出した古い証がありました。久しぶりに全部読んだら、当時のことを思い出して切ない気持になりました。下の引用は証の後半部分です。全体は、「苦しい環境」をご参照下さい。証のページのインデックスは「Walk with Jesus」になります。

この証のページではまるで触れていませんでしたが、下の「悩みが色々ありすぎて詳細を書けない」という書き出しは、思い出したくもない傷ついた恋愛問題の深い悩みでした。証の前半部分、職場の人間関係だけで死にたいとまでは思いません。^^;これに限らず、仕事を再開するまでの時間は、証を書き直したり追加して行こうと思います。

悩みが色々ありすぎて詳細を書くことが出来ませんが、私の心の隙間にサタンが忍び込み、 私の悩みを利用して滅ぼしイェス様から引き離そうとしました。あるクリスマスイブの日、 友達とその知り合いの中国人が通っている教会に出かけて行きました。 クリスチャンにとっては一番嬉しい日なのに、周りの人達が喜びで輝いている時に、 私だけは暗く沈んでいました。

 

暗く寂しい気持ちになり、死んでしまいたくなりました。 イェス様は私を見捨てられたのかと思いました。何故そうなったのかは自分が良くわかっていました。 イェス様は、安全な右の道を行くようにおっしゃったような気がします。でも、私は自分の我で、 左を歩いていたのです。滅びに至る道だということも知らずに。

 

私は生きていることが辛くなり、 イェス様に「最後のお祈り」をしたのです。「イェス様。 今まで私を愛して下さってありがとうございました。我が儘言ってごめんなさい。 死んでしまったら地獄に行くのはわかっています。でも、辛くて耐えられそうにないんです。」と、 涙を流して祈りました。真剣に祈ったのは久しぶりだったかも知れません。私はとても惨めで、 価値のない人間だと思いました。

 

すると、パッと上からの思いが、御言葉となって私の心に入って来ました。 「霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。 (ローマ人への手紙第12章12節)」と。私は、イエス様が、崖っぷちで片足を踏み出している私を、一瞬のうちに支えて助けて下さったのだとわかりました。イェス様は私を見放していたわけではなかったことを知り、涙が止まりませんでした。私の心はその瞬間に変えられました。絶望と悲しみの心が、喜びと感謝に変わりました。

 

年が明けて元旦礼拝の時に、いただいた御言葉のお年玉(封をされた封筒に入っている)は、先の御言葉と全く同じだったので驚きました。私は、イェス様が自分に求めておられるのは何かを知ることが出来、もう二度とイェス様を悲しませるのはよそうと思いました。

その「御言葉のお年玉」がこれです。2年前の6月に使っていない倉庫部屋化している部屋を大掃除・断捨離した時に数十年振りに出て来ました。2年前のブログにもこれにまつわる証を書いたことに気が付きました。その話は前にも聞きましたと思っている人がいるかも。^^;

昨夜ベッドの中でお祈りをしていたら、当時の苦しかったことよりも、イエス様の御愛に触れ、喜びに包まれた時のことを思い出し又うるうると泣いてしまいました。そう、あれは、同じようなことで二度とイエス様を悲しませるのは止めようと、私が一大決心した瞬間だったのです。

私の悩みの殆どは恋愛や仕事の問題だったような気がします。今でも一途な性格は変わりませんが、若い頃は恋愛が生活の大部分を占めていたのです。その為、問題が起こると最悪の状態になるまで思い詰めてしまいがちでした。年齢と共に恋愛は人生の一部になり、振り回されることはありません。と言うか、もう縁がないので、イエス様一筋ですね。(笑)

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