HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


気付かされたこと・・・

https://www.instagram.com/p/CCd14GyAcno/

「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。」‭‭コリント人への第二の手紙‬ ‭3:17‬ ‭口語訳‬‬https://www.bible.com/1820/2co.3.17.口語訳

求職活動が厳しい中にあっても、ずっと心の平安と喜びで満たされていました。でも、現実の厳しさに目を向けふっとイエス様から目をそらしてしまうと、瞬く間にサタンの罠にはまり、不安の深い海に引きずり込まれそうになります。

自宅で静かな毎日を送っているのですが、内なる私自身は戦っていたように思います。サタンは巧みに私の平安を奪い取ろうとしていました。そうさせてしまうのは、自分も気付いていない所でサタンが働く足場を作っていたからです。

特にこの前は、何となく「不自由な気持」になりかけていました。感謝なことに、働いていないと祈る時間が沢山あります。なので、気が済むまで御霊で祈っていました。そして、何が自分を不自由にさせていたのかが分かりました。

牧師先生とお話した昨年6月から、全てを明け渡して人生の運転席にイエス様をお迎えし、私は助手席に座って楽な気持でいられたのです。でも、自分の強い願望というか拘りのような物を掴んで放さなかった為に不自由だったのだと気付いたのです。

自分が握って放さないことは、つまり、自分が主導権を握ろうとする為に、神様の御手を縛り働きを邪魔することになるのです。そのことをイエス様にお話ししたら、すっと楽になりました。まだまだ明け渡しが足りなかったことに気が付きました。

ふと何かの不安や心配がよぎったら、祈って主に心を探って頂き、その都度それを手放し主に明け渡す必要があるのですね。それが主の平安の中にずっと留まれる鍵です。『御霊のおられるところには自由があります 』を身を持って体験しました。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。

ガラテヤ(5:22-24) 

 

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