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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


先代の牧師先生を思う〜祈りが届かないのは・・(再掲)

思う所があって、2018年2月12日の日記を再掲します。

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先代の牧師先生が亡くなって30年になりました。神様とホットラインで繋がっているのではないかと思える程で、目が合っただけで心の中まで知られてしまいそうな?カリスマのある人でした。とても厳しい人でしたが、心の底から優しい人でもありました。

「断・捨・離」と言う言葉を最近良く聞きますが、当時から先生が良く使っている言葉だったので、てっきり先生が作った言葉だとずっと思っていました。^^;物が溢れていつかは断・捨・離しないといけない思っています。先生の言葉が今でも響いて来ます。^^;

先生の説教はものすごく力強く長かったのですが、それでいて茶目っ気があり、厳しさの中にも笑いが絶えませんでした。聖書をありのままに信じる信仰は先生から受け継がれたものです。なので、信仰歴が長くなっても、幼子のような信仰を持ち続けています。^^

日系・外資系どの会社で働いていても、一貫していたのは「信仰の旗印」を掲げていたことです。これも先生の教えでした。音大でも、聖歌隊の話で普通に伝わりました。あがらない為にどうするかという先生の問いに、「お祈り」と答えて「おぉ!?」と驚かれたことも。(笑)

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先代の牧師先生から教えて頂いたことの一つですが、「神様を1%でも疑ったら、お祈りは聞かれない。」ということでした。又、下記にもありますが、悔い改めていない罪が神様と自分の間に隔たりの壁を作ることになり、お祈りが届かなくなってしまうと言うことです。

見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。
ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。
(イザヤ書59:1-2)

私はオンラインでもオフでも、「無いこと無いこと」クリスチャンから悪口を言いふらされたことがあります。傷つきましたが、全てをご存知の神様に祈ってお任せしました。人は悪い思いを抱いたままの心で、神様にお祈りが出来るでしょうか?少なくとも私には出来ません。^^;

なので、毎朝お祈りをする時に必ず盛り込んでいるのは下記の御言葉です。そして、多くの人達の様々な執り成しの祈りをしているので、神様との間に壁を作らないように「私の(気付いていない)罪を示して下さい。そして悔い改めへと導いて下さい。」と祈っています。

神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。
わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。
(詩篇139:23ー24)

祈りの流れは、罪の悔い改め→感謝と讃美→お願い?→感謝、です。そして、「祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう(マタイ21:22)」という信仰により、教会でも自分でも、「〇〇になりましたから感謝です。」と完了形で祈っているのです。

 

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