HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


お導きはそれぞれで同じではない

書こうかどうしようか迷いましたが、ありのままの事実を話そうと思います。数週間前部屋を片付けていた時、沢山の外貨紙幣が出て来ました。それを両替したら28,400円になり、経済的に厳しくなりつつある時だったので、本当に嬉しく神様に感謝しました。

朝のお祈り会のランチ時にも皆に証をし、感謝でしたねという話になりました。ところが先日、或る姉妹にその話をしたら、「あら、まだあるじゃない?それも全部捧げれば恵まれるわよ!」と真顔で言われて驚きました。彼女は自分の体験を私に勧めたのです。

「マンションを売らないで済んだ」と。彼女は熱く語っていましたが、私はとても冷静に聞いていました。「〇〇さんと違い独身で一馬力なので、自分が働かなければ生活出来ません。」と言ったら、「家があるじゃない?いざとなったら売れば良いのよ!」と言われました。

彼女は悪気はなくても、その熱心さが怖くなり、何だか神様のお導きと恵みが侮辱されたような気持になり、ひどいなぁと思いました。「それはありません。大丈夫です。何故ならば、神様は(将来を見据え)私が家を買っても大丈夫だと判断され与えて下さったからです。」と普通に答えました。

私は確信があったので毅然と答えましたが、こんなことを言われたら、人によっては言い返すことも出来ず、傷つくかも知れないと思ったのです。同じお金の問題だったとしても、神様のお導きは人それぞれです。彼女は全部捧げよと言われたかも知れません。でも、それは彼女と神様の問題であって、同じことが他の人に当てはまるとは限りません。

私自身何度も失業しましたが、導かれ方は毎回と言って良い程違うのです。癒しにしても、即座に癒されたり、偏頭痛にいたっては何十年もかかったりしているわけです。キリストの肢体である私達の役割が違うように、又、それぞれの信仰の度合いや神様との関係が違うように、導きは変わって来ると思います。

私は証はしますが、人に迫るように価値感を押し付けたりはしません。自分がされて嫌なことは人にはしたくないからです。もし私と似たような経験をされた方がいたら、相手の為に祝福を祈り神様にありのままをお話し、傷ついたと感じたならば祈りによって癒して頂きましょう。一番大事なのは、神様と自分の関係です。堅固な関係ならばぶれることはありません。

 

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