HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


受霊〜洗礼前の証

以前のブログにも、私のHPの証のページ『Walk with Jesus』からコピー・ペイストしたことが何回かあると思いますが、初めて教会に行ってから現在に至るまでの証を、クロノロジカルに50位書いています。

そもそも私は10年数ヶ月前に、イエス様からHPを立ち上げて証を書くように導かれて今に至っています。証はプライベートなことを赤裸々に書くことになるわけなので、とても抵抗があり勇気がいることでしたが、「恥は我がもの、栄光は主のもの」と言うことで、それまでの神様からの恵みを自分の中だけにしまっておくのではなく、教会の証し会だけではしきれていない小さな証も含めて、主がそうおっしゃるならばと従順に従いHPを立ち上げたわけです。自分の教会に勧誘するのが目的ではなく、イエス様が今も生きて働いておられる神様であることを宣べ伝えることが私の使命だと考えています。

初めて教会に行った日に聖霊バプテスマを受けてから洗礼を受けるまでに更に半年かかったのは、他の人達もそうかも知れませんが、クリスチャンになることはそれまでの価値観をひっくり返すようなことなので、一大決心が必要だったからなのです。人それぞれ神様の導きは違うと思いますが、私の場合は、受洗する前聖霊を受けた直後から、人生が大きく変わったと言えます。聖霊を受けた直後から、本当に神様の沢山の奇跡を見せられて驚くばかりでした。その中でも特にインパクトが強かったのは、占いを神様によって聖別させられた体験と世の終わりの夢(携挙される夢で、結果的に洗礼を受ける預言の夢でした。)だったのです。

占いや偶像崇拝は神様が最も忌み嫌われることです。救われる前は、私は占いを人にしてあげる方でしたが、占いをしてもらうことも罪だと聖書を学んで知りました。占いは人の霊を汚すものです。占いは悪霊の働きによるものだからです。私は経験から言いますが、占いは人に恐れを与え、縛り、不自由にするものです。

しかし神様のもとにあるものには自由があります。

エスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。(ヨハネ8:21-32)

主に根ざしている限り、サタンを恐れるには及びません。

これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。(ヨハネ16:33)

なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。(1ヨハネ5:4-5)

気を付けなければならないのは、悪霊も病気を癒し奇跡を起こすからです。サタンの目的は、人を騙し滅びに至らしめ地獄に落とすことなのです。聖書は警告しています。

愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。(1ヨハネ4:1-3)


下記は占いを聖別させられた証です。HPからコピーしました。

聖霊の働き

(初めて受けた聖餐によって古い習慣を聖別させられたことを書いています。)

私は、好奇心が非常に強い人間で、特に、美しい物や神秘的なものに心を惹かれます。大学一年の時に、友達がタロットカードを持ってきて見せてくれました。私が占いに懲りだしたのはそれがきっかけだったと思います。トランプ占いや星占いもやりました。私の大きな勘違いは、占いによって周りの人達を助けてあげられると思っていたことです。手相見の人にも、カウンセラーに向いていると言われ、他の占い師には弟子にならないかと言われました。でも、大学4年でクリスチャンになってから、それがどれほど罪深いことで、神様が忌み嫌っていることかを知りました。結局私は、人助けではなく、人を単に惑わしていたにすぎなかったのです。

初めての聖餐式で、親指の頭位のパンと葡萄酒をいただきました。聖餐式は毎月第一日曜日に行っています。聖餐は、イエス様を信じて聖霊や洗礼を受けた者だけが受けるのを許されています。キリストの御肉と御血をいただくことによって、イエス様と霊的にひとつになり、いつまでもその恵みを忘れないために行っているのです。私が初めて聖霊の働きを体験したのはその日でした。アパートに帰ってきて、本棚にたくさん並んでいる占いの本を見るなり、居ても立ってもいられなくなりました。私にとっては、ヨーロッパに行ったときに買ってきたタロットカードなど、何年もかけて集めた宝物ばかりのはずでした。確かにその日の朝は何ともなかったのに、急に嫌悪感を感じ、それを持っているのが耐えられなくなったのです。

私は、直ぐに占いの本やカードを大きな紙袋2つに詰め、近くの公園に持っていきました。占いの霊は神様の敵サタンが支配しているものですから、警戒して聖霊のお祈りをしながらそれを全て焼いてしまいました。そのあと、私の心は喜びと平安で満たされました。私は初めて聖霊の強さを知りました。サタンと神様両方につかえることは出来ません。無理したわけでもなく、聖霊によって私の心は聖別され神様が嫌っている占いを捨てることになったのです。殆ど習慣化していましたから、自分の努力でそれをやめることは出来なかったでしょう。私は占いに支配されたり惑わされたりすることがなくなり、心は開放感でいっぱいになりました。

その後のコインランドリーでの出来事です。使用中のままちょっと別のところに買い物に行って戻って来たら、自分の洗濯物に誰かが漂白剤を入れたため、ボーイフレンドとペアで着ていたトレーナーが台無しになっていました。どれだけショックだったことか、、、。次に思ったことは、絶対に許せないと思ったことです。そして怒りでいっぱいになりました。どうしてこんなことが出来るのか、本当に理解に苦しみました。仕返ししてやりたいとまで思ってしまいました。そうしたら、自分の心が、怒りから悲しみに、悲しみが苦しみに変わりました。自分でも何で心が苦しいのかわかりませんでした。でも、ネガティブな考えを持つと心が苦しくなり、そのたびに「ごめんなさい」とイエス様にお祈りすると心が平安になるのです。

もはや私は、悪の霊に支配されるのではなく、神様の霊によって導かれるようになったのです。それはどんなに幸いなことでしょうか。ハレルヤ!