HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


私の使命

聖歌隊のK先生は、私のプライベートの声楽のI先生と同じ音大で大先輩にあたり、I先生が大学生の頃売り出し中のオペラ歌手でした。先生は大学の声楽の先生でもあり、今はリタイアしておられますが、当時は大学で教鞭を取りながら、日曜日は私達聖歌隊の御指導をされていたわけです。いつも朗らかで優しく、聖歌・讃美歌の性質上、技術的なことよりもむしろ詞の意味を大切にされています。しかしながら、殆ど楽譜も読めないような私達を指導されるのは、どれだけ忍耐のいることだろうといつも思います。(^_^;;先生は最近、バンドの側だと大音量に耳に負担がかかる為、真ん中の最前列に座ることにしたようで、私はその隣りや後ろに座るようになりました。その席は私が長年座っていた場所だったので、先生は気にされていたようでしたが、私は自分の席だと主張することはないので(笑)、むしろ先生とお話をする機会が増えたことを嬉しく思っています。


15日の礼拝で、聖歌609番『いちど死にしわれをも』の独唱をさせていただきましたが、先生はいつもは独唱の後に席に着かれるので、後ろのどこかで聞いておられると思うのですが、何故かこの前に限ってはすでに席に着かれていた為、私は講壇に上がった時いつになく緊張してしまいました。(^_^;;しかし、歌い始めると歌に集中して何とか歌い終わりました。この歌は良い歌ですが、歌ってみると意外と難しいことがわかり、I先生のレッスンの時にもかなりてこずっていました。ひと月前から準備をしていましたが、何週目の日曜日に声がかかるかわからなかった為、ちゃんと仕上がるかどうか若干心配でもありました。それでも、15日の当日は完全ではないまでも、何とか歌らしくなって来たという状態でした。


いつも牧師先生や兄弟姉妹から良かったと言っていただくのは、とても大きな励みになり嬉しいことですが、10人の評価よりもプロのK先生のコメントがやはり気になります。以前も、言葉をもうちょっとハッキリ発音した方が良いとか、(大勢の前で独唱するのは)慣れてきたわねとか、色々コメントを頂くことはありました。15日歌い終えて席に戻ると、先生から「良かったわよ。」と言われました。それはとても嬉しく、いつものように私の声楽の先生に報告のメールをした際に、K先生に良かったと言われたことを伝えると、I先生も喜んで下さりメールは顔文字でバンザイマークがついていました。(笑)昨日K先生とお話をしていた時、先週の歌は良かったと改めて言って下さいました。先生はその人の為を思いむやみにほめたりしないそうです。「こんなことを言ったら失礼かも知れないけれど」と前置きした後、「初めて良かったと思ったわ。」と言って下さいました。難しい歌だっただけに、先生のコメントには本当に嬉しくなりました。


声楽のレッスンは、自分の身体を楽器として作って行く地道な作業でもあります。プライベートのレッスンを始めてもう8、9年程になりますが、ほんの少しでも進歩したのかも知れないと思うと励みになりました。主がこのような少ないタラントの私でも、主の御用のために聖歌隊や独唱でお用い下さることを嬉しく思います。だいぶ昔、一タラントを土に埋めて隠してしまった不忠実な僕のようにならないように、私の少ないタラントでも使いたい、でも私のタラントは何なのだろう、私は何を始めたら良いのだろうと思っていました。しかしその時、あなたは聖歌隊にいるのだから今いる場所でそのことに励むように導かれました。ヤベツの祈りの一部でもある『私の地境を広げてくださいますように』と言う祈りと、「私の讃美のタラントを増し加えて下さい」と言う朝毎の祈りは、色々な形で聞かれているのを実感しています。なおなお主の御用の為に用いて頂けるようにと心から願っています。